ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

タガを外す〜ブラジルのカーニバルと青森のねぶた祭り

 毎年2月はブラジルでカーニバルが行われますよね。今年もすごく盛り上がったというニュースをネットで見ました。

 実は僕も一度だけ行ったことがあります。2000年のことでした。その頃一緒に仕事をさせていただいていたブラジル音楽の第一人者、中原仁さんがラジオ局のDJやプロデューサー、スタッフの方と”20世紀最後のカーニバルを観に行こう”という話をしていて、僕も乗っからせてもらったわけです。

 その旅行のメイン・イベントは、お客さんが観るだけのリオのカーニバルじゃなくて、サルヴァドールに行って実際にカーニバルに参加して踊ろうということでした。

 サルヴァドールカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなど僕の好きな素晴らしいアーティストを生み出した”音楽の都”だと聞いていましたし、ブラジルのカーニバルで踊る、ということにも妙に気持ちを惹かれたので僕もぜひ行きたい!と申し出ました。

 ただ、現地に行って実際にカーニバルのグループ(ブロコと呼ばれるようです)に参加して歩き出した時は、急に弱気になって帰りたくなりましたw。なんか自分がすごいよそ者だと思えてきて、うまくテンションが上げられなかったんですよね。しばらくうつむいて歩いていたんですけど、まわりでは体を突き動かしてくるようなビートがガンガン鳴っていますし、みんな楽しげに踊っています。これじゃいかん、と僕は思って、グループの先頭で一番ノリノリで踊っている人たちのところまで走っていって、わけもわからず一緒に踊り始めました。

 今思えば<タガが外れる>というのはまさにこのことだったでしょうね。どんどん楽しくなってきました。たぶん変な奇声もあげていたと思います(苦笑。後の記憶はほとんどありません。僕はかなり落ち着いたキャラの人だと思われているので、同行した人たちもちょっと驚いていたみたいでしたw。

 あそこで、もういっちゃえ、という気持ちになれたのは、青森のねぶた祭りで踊ったことがあった経験のおかげだと思います。1989年のことでした。

 僕はレコード会社の営業マンとして青森を担当していました。仙台の支社から月1,2回出張で行っていたんです。取引先だった駅前通りにあったレコード屋さんのオーナーの方から「ねぶた祭りに参加してみる?」と声をかけてもらったんですね。

 「参加させてください」と即答しました。自分の田舎の祭りでさえ踊ったことないのに。ねぶた祭りは全国的に有名だから好奇心があったんでしょうね。

 でも実際に参加し始めたときは、やっぱり気後れして「なんで参加するなんて言っちゃったんだろう、、」とグズグズしていました。でも、とにかくまわりの人たちの真似をして「ラッセラー、ラッセラー」と跳ねてみました。そしたら、だんだん楽しくなってきてw。その後のことはあまりおぼえていません。

 僕の人生で<タガが外れた>のはこの2回です。

 ちなみに<タガ(箍)>とはオケやタルの周りにはめて固定するための”輪っか”のことなんですね。実際にタガを外す映像をアップしてくれている方がいたので見てみましょう。

www.youtube.com

 

 ひんぱんにタガが外れちゃう人がいたら、あまり知り合いにはなりたくないですけど、たまに<タガを外す>のは人間の心にとっては必要なことかもしれませんね。ガチガチになった心を解放するために。そのために祭りやカーニバルはあるのかなと思ったりもします。祭りで一度全部出し切ってまた一年コツコツ暮らしながら次の祭りでまた気持ちを解放する、そうすることで共同体がうまく維持されていったんじゃないかと思います。

 ライヴやフェスなんかもそういう意義があるんでしょうね。

 やっぱり、何か固定されたものをただただ守り続けるということには、人間の心はなかなか耐えられないんじゃないかなという気がします。

 誰でも、人の迷惑にならずにでも堂々とタガを外せる場所はあったほうがきっといいんでしょうね。

 

 

オレたち花粉症世代

 じわじわとは感じてはいたんですが、昨日あたりから一つギアが上がった感じがしますよね。花粉症のことですがw

  僕はかなり小さい頃から耳鼻科に行っていた記憶があって、ルパン三世に出てきた”マモー”と佐藤栄作元首相がミックスされたような風貌の”おじいちゃん先生”にいつも、あの銀色の先の細い”吸引管”を鼻の奥まで突っ込まれたのですが、それがけっこうトラウマになっていましたw。

 父親からは「おまえはアレルギー性鼻炎だ」と言われました。花粉症という呼び名ができたのは全然後になってからです。

 というわけで、もう半世紀以上も鼻炎、花粉症に悩まされて生きてきたことになります。

 7〜8年前にやったアレルギー検査では<スギ>が数値が出せないほど猛烈な反応が出ていました。<ヒノキ>ももちろんありました。

 ご存知の方も多いかと思いますが、スギは昔、国の政策で人工的にどんどん増やされたんですよね。昭和35年の”所得倍増計画”がきっかけだったようですが、国民みんなでガンガン働いてガンガン儲けてガンガン家を建てろ!という号令のもと(号令は出てないか、、)、家を建てる木材として、日本固有の品種でかつ加工しやすくていろんな用途にも使えるスギがいいということでメインに選ばれたんです。そして天然の林をスギの人工林に植え替えていったわけです。

 その結果今では日本の森林の約4割が人工林、その人工林の44%がスギ(25%がヒノキ)なんですって。。。日本国民の4割が目と鼻のトラブルに苦しむことになる根っこには国策があったんですね。

 そのことを最初に知った時は<そんな”不自然”なことをするから、、、>と僕は怒りに震えましたが、それで”夢のマイホームを”建てた国民は多かったでしょうから(僕の実家もそうでしょう)複雑な心境でもありますが、でも自分の人生を振り返ったとき、やっぱり恨めしさしかありません(苦笑。

 

  花粉症対策は人それぞれでしょうが、僕もいろいろ試行錯誤してきました。

 もちろん、専門医にかかるのがベストですが、コロナの時期はなるべく病院に行きたくなかったので市販薬をいろいろ試してみました。

  アレルギー系の薬では、僕の場合は”フェキソフェナジン”が入っているものが一番効く感じがあります。「アレグラ」に入っているものですね。最近は他の会社も出しています。

 ただ、花粉飛散期半ばをすぎると耳鼻科から処方されたものでも”アレルギー系”の薬はあまり効かなくなってくるので、後半戦から僕は即効性のある鼻炎薬に切り替えます。パブロンとかストナとか、そんな感じのを。

 薬以外では、2年前にあるレコード会社の部長さんから”ヤクルト1000”が効くと言われて飲みましたが、発症してからじゃ遅かったようです(苦笑。

 でも花粉症になると”腸”の調子があきらかに悪くなるので、日頃から自分に合った<腸活>をするのは効くように思います。

 あと、アルコールが症状を悪化させるのはこれはもう間違いないです。

 僕は今は酒をほぼやめて、”ゆるグルテンフリー”で、米は”玄米90%白米10%"くらいの生活なので(どれも完全にはやめないんですがw)、花粉症の症状は2〜3割くらいは和らいでいる感じはあります。

 

 そういえば、去年、国が10年後にスギの人工林を2割くらい減らして、30年後には花粉の発生量の半減を目指すという方針を発表しましたね。ただ僕の場合年齢的に考えたら、その対策の恩恵をあまり受けられないままどうやら生涯を終えそうですw

 スギは植えられてだいたい20年目くらいから本格的に花粉を飛ばすそうなので、僕は中高生くらいで人工的に植えられたスギの花粉の”飛び始め”を経験したことになり(その頃から目の症状も出るようになりました)、ひょっとしたらスギ花粉の増加と僕の人としての成長曲線はシンクロしてたんじゃないかなんて思ってしまいます。

 国策でどんどん増えてゆくスギの花粉を目一杯体に吸い込みながら生きてきて、減少政策の恩恵もうけずに終わるわけです。けっこう悲しい。

 たぶん、1960年代〜1970年代生まれで子供の頃から発症していた人は人生をスギ花粉のと共に生きた"みな花粉症世代”でしょう。英語で言えば”We Are Hay Fever Generation”。英語にしてもしょうがないですけど。どこかのロック・バンドがそんな歌を作ってくれたら、客席で本気で拳を突き上げたい、それくらいの”鬱憤(うっぷん)”がスギ花粉に対してはあるんですよね。

 

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音楽は不要不急か?(2)〜もっと広くて長い目で見たら

 昨日このブログで書いた「音楽は不要不急か」という話は、もちろん、今の世の中での<音楽>ということで、ほぼ<商業音楽>のことだという前提で、ああだこうだ考えてみたわけですけど、もっと広い意味での<音楽>になると全然違う話になるかと思います。僕の脳みそじゃとても太刀打ちできない話ですがw。

 

 小泉 文夫さん(1927-1983年)という高名な民族音楽学者の人がいらして、世界中のあらゆる民族、文化に自ら飛び込んで”音楽”とは何かということを生涯をかけて研究された方で、書かれた本は語り口調も親しみやすくて内容がすごくおもしろいので、昔せっせと読んでいたことがありました。

 

 彼の本で記憶に残っているのは、フィリピンや台湾などにいた<首狩り族>(怖いですね、、さすがに今はほとんど残っていないようですが)は、狩りに行く前に合唱をしたそうで、そのハーモニーの出来が良かったら、全員の気持ちが合っている証拠だから狩りにいこう、出来が悪ければやめよう、と判断したという話です。狩りの相手も首狩り族ですから、まさに生死がかかっているわけです。そんな重大な決定を<ハーモニーの出来>に委ねたんですね。

 それからエスキモーの話なんですけど、内陸部でカリブーやシカを追う部族と、海岸部でクジラを追う部族では、歌やリズム感のレベルが全然違うらしく、クジラを追う部族の方が圧倒的に歌もリズム感も演奏も上手かったそうなんです。

 それはなぜかというと、カリブーは集団じゃなく個人で捕まえることができるけど、クジラは全員で力を合わせなくちゃいけないわけで、だから常日頃からみんなで歌を歌って一致団結しておかなきゃいけなかったんです。食料確保のため、生きていくために音楽が必要だったと言えるのかもしれません。

 

「集団の仕事、狩猟でも漁撈でもいい、とにかく大勢の人間が力を合わせる必要が、歌の規則を生むのだ。別の言葉でいえば、人間は何を食べているか、どうやってその食料を得るかによって、社会と歌のスタイルが決められるともいえる」

 (小泉文夫「音楽の根源にあるもの」)

 

 僕の生きてきた時代は、たまたま資本主義の発展とともに、そのシステムに音楽も適応した(させた?)ために、個人個人の嗜好品としての存在意義ばかりがどんどん大きくなったのかもしれませんね。

 「音楽不要不急論」は長く見てもここ何十年かの状況を基盤にして語られているわけで、もっと広くて長い目で見たら、すなわち民族や時代が変われば、個人じゃなく、ある集団全体にとって<音楽は生存のために必要不可欠なもの>だというケースもあることになります。だいたい”音楽が不要不急か”という議論自体、音楽の神様に叱られそうですけどね。

 

 商業音楽のまさにピークの時代を生きてきたので、僕なんかもっぱら個人の楽しみとして音楽に接してきました。なので、生きるか死ぬかの局面で音楽と接した経験はさすがにないです。

 ただそんな時代のニュースとしてすごく印象的だったのは、2004年の台風23号の時に、川の氾濫に巻き込まれ立ち往生したバスの乗客が、バスの上で救助を待ちながら、眠って凍死しないようにと、みんなで「上を向いて歩こう」を歌ったというエピソードでした。

 歌が命を繋いだということにすごく感動したのをおぼえています。と、同時にその乗客たちよりもう少し下の世代の僕たちはそんな局面でみんなで一緒に歌える歌はあるのかな?とも思いました。みんなで歌えなくてはいけないし、少し前向きになれる歌の方がいいわけです。自分がその場にいたらどうしたか、なかなか想像がつきません、、。

 

 インターネットによってこの十数年、どんどん「個」の時代になってきましたが、同時に”「個」の限界”も見えてきて、新たな「つながり」、集団作りを模索している人たちも増えていますよね。

 もし「集団」のあり方によって音楽も変わるのだったら、新時代の「集団」にとって音楽がどんな存在になるのか、僕は楽しみです。

 

 

 

voz.hatenablog.com

音楽は不要不急か?〜みんな最初は”受け手”だった

 大きな災害やコロナなどの緊急時になると、音楽やエンタメは不要不急か?という話が出てきますよね。

 そうすると僕はいつもモヤモヤした気持ちになっていました。違う!必要不可欠だ!と反論したいとかそういうことじゃなくて、もうちょっと根っこの問題というか。で、最近そのモヤモヤが何だったのかわかりました。

 そのきっかけになったのは僕の「まいにちポップス」というブログの読者の馬鹿楽(バート・バカラックの大ファン)さんから『SOSEGON魂』というブログを紹介していただいたことだったんです。

blog.livedoor.jp

 SOSEGON(ソセゴン)とは医療用の鎮痛剤のことだそうで、そのブログの筆者の方は難病のため常に鎮痛剤の服用が必要なほどの痛みを抱えながら数十回もの手術を受け、入退院を繰り返し、そんな日々の中で15年もの間自分の好きな音楽を紹介し続けていたんです。

 音楽の知識はびっくりするほど広くて、選曲のセンスがまた素晴らしく(古い音楽だけじゃなく若くてまだ知名度のないアーティストのセレクトもされていて、それもまたいいんです)、おまけに筆致は穏やかで優しく親しみやすい。

 でも、筆者の方は昨年の12月に亡くなられていたんです。最後の記事のコメント欄にあったご友人のコメントによると、あまりに衰弱が激しかったためご自身の意思で透析をやめられたとのことでした。

 いつも体のどこかに激しい痛みがあり、いつ亡くなってもおかしくない状況を何度も経験しながら、こういう音楽愛にあふれたブログを書き続けたSASEGONさんには言い表せないほどのリスペクトを感じますし、同時に音楽ってすごいんだなあ、とあらためて気づかせてもらいました。そして、SASEGONさんにとって音楽は生きていくために絶対必要なものだったのだと確信しました。

 そして、音楽は不要不急かという話についてモヤモヤしていたのことが僕なりにクリアになったんですよね。

 それは、

 音楽やエンタメが不要不急か、それは作り手や発信者側が言うことじゃなくて、聴く側や受け手”それぞれ”が決めることだ

 ということなんです。

 付け加えれば

 緊急時じゃなくても音楽やエンタメは必要ないって人はいる、でもそうじゃない人もいる。個々の問題なんだ。

 という、いたって当たり前のことでした。

   <音楽やエンタメ不要不急論>にはファンや受け手としての心情はあまり反映されていないように思うんです。そして、仮に受け手のことを考えたとしても、それを<大きなかたまり>でしかとらえていないような印象があるんです。

 もちろん、そういう発言をされた方は、音楽やエンタメを卑下したわけではなく、作り手もしくは発信する側の人間として予想もできないほどの大きな災いを目の前にした”無力感”を正直に謙虚な気持ちで発したのだと思います。もしくはエラそうにおごっちゃいけないという自戒の気持ちもあったのかもしれません。

 ただ、一つの表現物は、受け手によってそれぞれいろんな働きかけがあって、大げさに言えば受け手の心の中で新たなかたちで生まれ変わるものなんだろうと僕は思います。

 そして、何より受け手も<大衆>という”大きなかたまり”じゃなくて、それぞれが<個>なんですよね。

 そう考えると不要不急論は受け手の内面や、嗜好性、価値観の話なので、一般論で語っても何の役に立たないし、そういう議論の中でアーティストやクリエイターが自分の仕事を<不要不急>だととらえて無力感を感じることなんてあっちゃいけないし、逆に自分の思い込みだけで動いて、結果的に音楽を”押しつける”ようなことになるのも違うよなあ、そんな気持ちが僕のモヤモヤの正体だったんです。

 あと<不要不急>という変に引っ掛かりのあるワードが勝手に一人歩きしちゃった側面もあるなあと思います。

 

 僕は長いこと自分で音楽レーベルをやっていて、アーティストやクリエイターをずっとサポートをしてきたので<発信者>の立場にいます。

 それで発信する側の視点でしか考えなかったからこそ、その当たり前のことになかなか気づかなかったんだなと自分で反省しています。

 どんなに素晴らしいアーティストでも、最初は一人の”受け手”だったはずですからね。

 一人の受け手の自分に立ち戻って、そこから作り手、発信する側として何ができるか考える、本来これは非常時、緊急時じゃなくてもいつもやってなくちゃいけないことなんですよね。僕も反省するしかありません。。。

 

 能登半島地震のときに星野源さんがご自身のラジオ番組を急遽生に切り替えて「一緒に同じ時間を過ごしましょう」と呼びかけましたが、これは”受け手としての自分”に一度立ち返って、そこから送り手として何ができるかを考えたアクションだったのじゃないかと、リスペクトを込めて推察しました。

 考えてみると僕は、どんなにキャリアを重ねても一人の受け手(音楽ファン)としての人間性が伝わってくるようなアーティストが昔からすごく好きなんですよね。 

 

 

 

 

 

 

 

苦めのコーヒーを探して(2)一杯どりドリップコーヒー

 おいしいコーヒーが飲みたい、と思っても、そう簡単にはめぐり合わないものです。

”これ▲▲さんからいただいた高級なコーヒーよ”とか言って出してもらっても、有名なバリスタがいるというカフェに連れて行ってもらっても、意外に飲んでみたら好みじゃなかったりすることも少なくないと思います。

 まずは、自分の中で<好きなコーヒー>をある程度把握していることがきっと大事なんですね。苦味と酸味、浅煎りか深煎り、どっちが好きか。おいしかったコーヒーの豆はどこの国のものだったか、とかチェックしておくと、”ハズレ”のコーヒーに当たる確率は減っていきますし。

 僕が住んでいる茨城県発祥のコーヒー・チェーン”サザ・コーヒー”ではこの連休中に<将軍ゲイシャまつり>という、コーヒーというより、”お殿様が派手に遊んでいる姿”しかイメージできないイベントとセールをやっていますが、”ゲイシャ”とはコーヒーのレアな品種でエチオピアのゲシャという地域に自生していたものらしく、日本人業者がそれを「ゲイシャ」と聞き間違えたという説もあるそうです。すごくお高いコーヒーです。

 以前に店頭で試飲させてもらったことがありましたが、フルーティな酸味が特徴的で、<苦くてスッキリ>派の僕は正直あまり魅力を感じませんでした(好みが変わって好きになる可能性ももちろんあります)。高級品だからきっとうまいだろうくらいの感じで思い切って買っていたらちょっとがっかりした可能性もあります。

 

 どんなジャンルに限らず、好奇心をもっていろいろトライすることは運気を上げることにもつながるそうですから、いいことだと思いますが、トライした後に<感想を自分によく聞いてみる>というのが大事なんだと思います。

 もちろんこれはコーヒーに限らず、他の食べ物でも、ファッションでも、旅行先選びでもあらゆる分野で当てはまるんじゃないでしょうか。

 

 ただただその時々に流行っているものだけを追い求めてゆらゆら漂うだけの<流行ゾンビ>になるのはちょっと危険だなあと思うんですよね。流された先に何が待っているかわからない時代ですから。

 ちゃんと流行を追いながら、その度に自分自身に確かめることをやる続けると、流行ってないけど好きなもの、も出てくるはずですから、そうやっていくと<自分らしさ>みたいなものが芽生えてきますし、それがハッピーに生きてゆく手掛かりにもなるんじゃないかなと思ったりします。

 

 僕の場合、コスパのいい一杯どりのドリップコーヒー、を探している最中です。

 仕事中に飲む用なので、一杯100円以内におさえたいですし、その中で僕の好きな<苦めでスッキリしたもの>ってなかなかないんですよ。

 今のところ、間違いのないのはカルディのイタリアン・ロースト。あとは<京都イノダコーヒー オリジナルブレンド匠>もよかったです。タリーズの<BARISTA'S ROAST BLACK>はちょっと強め。眠気をシャッキっとさせるにはいいかもしれません。

 <炭焼コーヒー>も好きなんですが一杯ドリップって本当にないんですよ、Amazonで買えるものでは、大阪のお店みたいですけど<TASOGARE コーヒー>の炭焼珈琲が値段と味のバランスが良かったです。

 僕とコーヒーの好みが近い人にしか参考にならない情報ですみませんw

 

 

 

 

天才をマネてみる?〜ダヴィンチとジョブズ

 何年か前に話題になった本「レオナルド・ダ・ヴィンチウォルター・アイザックソン)」は、意外なダヴィンチ像がわかってかなり驚きの本でした。

 僕なんか「モナリザ」と「最後の晩餐」くらいしか知らなかったんですけど(苦笑。

 でも天才、という言葉で真っ先に思い浮かべるのは彼なんですよね。幼い頃にはその名前は聞いていましたから、とにかくすごい人だって。その刷り込みですね。

  彼がいろいろな分野で才能を発揮させたスーパーマンらしい、というのは多くの人が知っているわけですが、そこに ”謎が多い”存在だということが、彼をいっそう神格化させているのじゃないでしょうか。

 天才アーティストと呼ばれる人に共通する、例えば<好奇心旺盛><飽きっぽい><細部や直接見えない部分に徹底的にこだわる>という気質は彼にもあったようですね。

 ただ、意外だったのは、

*30歳過ぎるまで世に認められなかった「遅咲き」だということ(世に言う天才は若くして頭角を現す人が多いイメージがあります)。

 

生涯に渡って科学の分野でも研究を続けたのに、正規の教育をいっさい受けていなかったということ

 

*共同作業で作られた作品も少なくないこと

 

容姿は圧倒的に美しく、どこまでも優雅、驚くほどハンサムで、性格は温厚、社交的で会話も面白い、など欠点のないキャラクターだったこと

(それに対して、ミケランジェロは、鼻が潰れ、背骨は曲がって、垢抜けない身なりをした気難しい人だったと言います)

 

 この本で強調されているのは、”科学者”としてのダヴィンチと”芸術家”としてのダヴィンチが、しっかり繋がっていたということなんですね。例えば、たくさん解剖をやっていて筋肉の動きを調べたり、光学の研究で光と影の関係性を熟知していたことなんかが「モナリザ」に反映されているらしいんです。(モナリザを描いている最中も、彼は解剖をし、人の顔の筋肉の動きを調べていたといいます)

 

    スティーブ・ジョブズの有名なスピーチに、

「点と点をつなぐ」(connecting dots)というのがありますよね。過去に彼がカリグラフィー(字を美しく見せる書法)を学んでいたことが、後にフォントという概念を作り出すことにつながったという自身の経験から得た教訓、人生の法則、のようなものです。一見なんの関連性のない過去の経験が、ふいにつながり新しいものが生まれるということを意味しています。ただし、意識的に繋げようとして何かをやるのではなく、未来にそれがつながることを信じて、いまの自分の興味や情熱があるものに専心しなさい、と彼はメッセージしていたそうです。

 そう考えると、ダヴィンチの生涯は、まさに最大級のスケールの”connecting  dots"だったわけですよね。「モナリザ」なんかは、まさに彼の数々の「点」(dots)が一気につながって集約されたものだったのかもしれません。ただし、彼は「モナリザ」を描くために、解剖学や光学を学んだわけじゃなかったわけです。いろんなことに夢中になったことが、あるポイントで繋がっていったということなんですね。 

 

 それから、誰も気づかないレベルの「細部」まで徹底してこだわる、というのもダヴィンチの大きな特徴です。「細部」まで、でなく「細部」にこそこだわる、と言った方がいいのかも知れません。

 僕はずっと音楽の仕事をしていますが、優秀なクリエイターに限って、普通の人にははっきりと聴こえない部分にまで異常にこだわる傾向があります。そして、そういう細部にまでこだわり抜いた作品は不思議と繰り返し聴いても飽きないんですね。

 映画好きには、黒澤明の細部へのこだわりの凄さは有名ですよね。

 最初から全体のバランスをとりながら作ったものは、どうしても作品自体の熱量が下がるというか、奥行きや深みのないものになりがちなのかもしれません。実は、細部を丹念に掘り下げていくことだけが、「普遍性」にたどりつける唯一の道なのかもと思ったりします。

 さて、この超天才の伝記を読んで、僕も興味を持ったものにいろいろ手を出してみようかな、なんて考えてしまうわけですが、でもきっと、僕のような凡才の場合「多芸は無芸」で終わってしまうだけでしょう。

 僕は、ずっと長い間「多芸は無芸」は欠点だと信じてきたんです。結局、役に立つレベルの技術がないわけですから。

 好きなものに専心する、一芸に秀でる、ことこそ素晴らしい、と。イチローとか大谷翔平とか野球一筋ですよね。でも、自分にはその一芸ってものがないんだよなあ、と結局いつも自己嫌悪で終わる、そんな人生でした。

 ただ、僕もかなり長いこと生きてきましたが、「多芸は無芸」タイプの人の方が圧倒的に人生楽しんでそうに見えます。間違いなく。

 ダヴィンチやスティーブ・ジョブスのようなconnecting dotsがたとえ起こらなくなくても、その過程が楽しいものならば、「多芸は無芸」でいいのかもなあ、「天才のマネ」で終わっても十分じゃないかなんて、と今さら思ったわけです。

 

 

 

 

「運の方程式」について考えてみました

 田無神社は五龍神が祀られていることで有名ですが、少し前の日曜日にうちの奥さんが田無に行ったついでに寄ろうとしたら、神社の外までとんでもない行列ができていてあきらめて帰ってきたことがありました。

 辰年ということでたくさんの人たちが開運を願いに集まったんでしょうね。

 僕も神社に行くのが好きですし、音楽業界でずいぶんと長く仕事をしているで、”運”というものにはすごく興味があります。音楽や芸能の仕事は本当に浮き沈みが激しく、運の影響がとりわけはっきりと表れる世界のような気もします。関係者もそれを実感しているのでしょう、アーティストやクリエイターだけじゃなく、大きな事務所、特に長く続いているところほどお詣りやお祓いをきちんとやったり、積極的に風水を取り入れたりしているという印象があります。

 僕が今までやってきた仕事の中で一番長い期間やってきたのは作曲家の人たちをサポートするもので、ミリオンセラーや大ヒットを持つ人たちの担当もやりましたし、逆に若い無名の作曲家の卵をデモテープから発掘して育成する仕事もずいぶんやってきました。アーティストのオーディションの審査員も結構やりました。

 たくさんの作曲家の卵たちやアーティスト志望の人たちのキャリアの”明暗”を見続けてきて、確かに”運”というものはあるんだなと思いました。もちろん、”運”を必ずつかめる方法などはありませんが、運をつかんでうまく波に乗って行った人には何か共通するものがあるようにも思えました。

 音楽は才能やセンスが問われる世界ですが、あるレベルまでいくと、そこからは本人の気持ちの持ち方やスタンス、そして行動の仕方でかなり大きく変わる、とそんな気がするんですよね。

 ”運”を引き寄せやすいタイプ、と言い換えてもいいのかもしれません。

 

 鈴木祐さんが書かれた『運の方程式』という本では<運をつかむ確率を上げる方程>を以下のように表現しています。

 

幸運=(行動 × 多様 + 察知)× 回復

 

*行動 × 多様 とは チャレンジの回数を増やし かつ 同じチャレンジを繰り返すのではなくバリエーションも増やすこと

*察知 とは、身の回りで起こる小さな変化に気づく能力 観察すること

*回復 とは 失敗、挫折の痛みからすみやかに抜け出し、再び新たなチャレンジに挑めるメンタリティのこと

 

 確かに僕が音楽の仕事を通じて感じてきたことと重なる部分が多いです。

<なんでもチャレンジしてへこたれない人>は確かに最強です。僕は真逆で打たれ弱くてすぐへこたれるタイプだったので、そういうヤツが羨ましくてしょうがなかったですが(苦笑。

 能力もセンスもあるのに、自分の好みにこだわりがあり過ぎてチャレンジする回数が少ない人と、まあまあの能力だけどトライする数がすごく多い人では、後者の方が結果につながっていました。

 そこに<察知>、ひとりよがりでむやみやたらにトライするんじゃなく相手の反応を聞きながら自分なりに修正できる能力が加われば、確かに精度は上がるでしょう。

 ひとりの人間の力なんてたかが知れていて、自力だけで勝負できる人は何十年の一人の天才レベルの人でしょう。

 僕が見てきた<運をつかんだ人>は他の人の力もうまく味方につけてました。そして仕事を積み重ねながら何かを吸収していって自分の能力をより開花させていってました。

 スタート地点から<自分で自分のことをこうだと決めつけてしまう>という姿勢が一番運を遠ざけるような気が僕にはします。これは僕自身の反省点でもあるのですけど。。

 

 そしてこの方程式をより成功に近づけるために『運の方程式』の作者の鈴木さんは、「好奇心」コミュ力が必要だと言っています。

 「好奇心」こそ、いろんなチャレンジを繰り返すことを可能にする動力であって、予期せぬ幸運の大半は他者からもたらせるので、薄く広い人間関係が必要。そのためには「コミュ力」が大事ということです。

 しかし「好奇心」も「コミュ力」も生まれ持った性格じゃないの?と思ってしまうのですが、それも、「好奇心」があるフリをして行動をする、「コミュ力」の高い人の行動を真似る、ことを続けていくことでも、いつの間にか自分の中に「好奇心」と「コミュ力」を「インストール」できてしまう そうなんです。

 

 また、ただいろんなトライをするだけではダメで

「幅広い実験」と「一点集中」を交互に繰り返すと「ホットストリーク」(人生の確変状態)の発生確率が上がる  

 とも書いてあります。

 いろんなことをやって、そのうち何か一つが”あたった”ら、そこに全精力を注ぎ込む。そして、一点集中したことがパワーダウンしてしまったら、新たに幅広いチャレンジをスタートさせる、その繰り返しがいい、と。

 また、幸運の発生率を上げるには行動の量を増やすしかなくて、行動の量を増やせば自然と不運の量も増えるので、失敗からの回復力というのが大事になってきて、そんな時にはこんな科学者的な考え方をしてみるのがいいと作者は提案しています。

 実験の失敗とは、新しく得られたデータのひとつでしかない

 失敗した時の回復力は大事ですよね。僕みたいな打たれ弱い人間は、とりあえず「いい勉強になったなあ」とか自分に言い聞かせながら”回復したフリ”をしてみることから始めるのがいいのかも知れないですね。