毎年2月はブラジルでカーニバルが行われますよね。今年もすごく盛り上がったというニュースをネットで見ました。
実は僕も一度だけ行ったことがあります。2000年のことでした。その頃一緒に仕事をさせていただいていたブラジル音楽の第一人者、中原仁さんがラジオ局のDJやプロデューサー、スタッフの方と”20世紀最後のカーニバルを観に行こう”という話をしていて、僕も乗っからせてもらったわけです。
その旅行のメイン・イベントは、お客さんが観るだけのリオのカーニバルじゃなくて、サルヴァドールに行って実際にカーニバルに参加して踊ろうということでした。
サルヴァドールはカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなど僕の好きな素晴らしいアーティストを生み出した”音楽の都”だと聞いていましたし、ブラジルのカーニバルで踊る、ということにも妙に気持ちを惹かれたので僕もぜひ行きたい!と申し出ました。
ただ、現地に行って実際にカーニバルのグループ(ブロコと呼ばれるようです)に参加して歩き出した時は、急に弱気になって帰りたくなりましたw。なんか自分がすごいよそ者だと思えてきて、うまくテンションが上げられなかったんですよね。しばらくうつむいて歩いていたんですけど、まわりでは体を突き動かしてくるようなビートがガンガン鳴っていますし、みんな楽しげに踊っています。これじゃいかん、と僕は思って、グループの先頭で一番ノリノリで踊っている人たちのところまで走っていって、わけもわからず一緒に踊り始めました。
今思えば<タガが外れる>というのはまさにこのことだったでしょうね。どんどん楽しくなってきました。たぶん変な奇声もあげていたと思います(苦笑。後の記憶はほとんどありません。僕はかなり落ち着いたキャラの人だと思われているので、同行した人たちもちょっと驚いていたみたいでしたw。
あそこで、もういっちゃえ、という気持ちになれたのは、青森のねぶた祭りで踊ったことがあった経験のおかげだと思います。1989年のことでした。
僕はレコード会社の営業マンとして青森を担当していました。仙台の支社から月1,2回出張で行っていたんです。取引先だった駅前通りにあったレコード屋さんのオーナーの方から「ねぶた祭りに参加してみる?」と声をかけてもらったんですね。
「参加させてください」と即答しました。自分の田舎の祭りでさえ踊ったことないのに。ねぶた祭りは全国的に有名だから好奇心があったんでしょうね。
でも実際に参加し始めたときは、やっぱり気後れして「なんで参加するなんて言っちゃったんだろう、、」とグズグズしていました。でも、とにかくまわりの人たちの真似をして「ラッセラー、ラッセラー」と跳ねてみました。そしたら、だんだん楽しくなってきてw。その後のことはあまりおぼえていません。
僕の人生で<タガが外れた>のはこの2回です。
ちなみに<タガ(箍)>とはオケやタルの周りにはめて固定するための”輪っか”のことなんですね。実際にタガを外す映像をアップしてくれている方がいたので見てみましょう。
ひんぱんにタガが外れちゃう人がいたら、あまり知り合いにはなりたくないですけど、たまに<タガを外す>のは人間の心にとっては必要なことかもしれませんね。ガチガチになった心を解放するために。そのために祭りやカーニバルはあるのかなと思ったりもします。祭りで一度全部出し切ってまた一年コツコツ暮らしながら次の祭りでまた気持ちを解放する、そうすることで共同体がうまく維持されていったんじゃないかと思います。
ライヴやフェスなんかもそういう意義があるんでしょうね。
やっぱり、何か固定されたものをただただ守り続けるということには、人間の心はなかなか耐えられないんじゃないかなという気がします。
誰でも、人の迷惑にならずにでも堂々とタガを外せる場所はあったほうがきっといいんでしょうね。