ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

あの日「ペニー・レイン」からはじまった

 音楽にハマるきっかけになった曲というのは、音楽好きにとってはすごく大事なものだと思うのですが、どうでしょうか?

 僕は「まいにちポップス」というブログで、令和元年の初日から1000日連続で1000曲のポップ・ソングを紹介するという荒業(?)に挑戦してなんとか完走することができたのですが、なぜそんなことをやったかといえば、昔からとにかく明るいwポップスが好きだったから、それだけなんです。

popups.hatenablog.com

 情報をしっかり入れながら、アーティストの人間味のあるエピソードや僕個人の想いも入れた”愛あるWikipedia(笑)”を目指したのですが、ひとりの力じゃ継続するのが目一杯で、後日せっせと加筆修正をしていきました。

 ただ、毎日ひたすらやり続けると不思議なもので、3ヶ月過ぎたあたりから読者が増えていって、もうかなり前に更新は終わっているのですが、今ではアクセスは150万を超えています。何年か前には「フォーブス・ジャパン」のweb記事で取り上げられたことがあってびっくりしましたし、ブログの読者だったというある才能あふれる若いアーティストの方から「僕の音楽のバイブルです」とまで言ってもらった時には、つい目がうるうるしてしまいました。やっぱり継続するのは大事なんだなあ、と思いました。

forbesjapan.com

 どうして明るいポップスが好きになったのか、そのブログを書きながらいろいろ思い出してみて、これだ!という記憶があったんですよね。

 もう亡くなっているのですが、僕には5歳上の兄がいて、音楽が本当に好きなひとだったんです。

 彼が中学の時に、ビートルズや、メンバーのソロ作品を熱心に聴いていました。僕は小学校3年か4年だった時に突然兄に部屋に連れて行かれて

「今からビートルズの曲を聴かせるから、どれが好きか答えろ」と言われたんです。今思うと無茶苦茶、唐突ですけどw。

 3〜4曲聴かされたと思うんですが、僕が聴いてすぐにうわっと思ったのが「ペニー・レイン」でした。他の曲は何を聴かされたのかおぼえてないくらい、心奪われたんですね。

 もちろん英語はわからなかったので、歌声、メロディ、アレンジ、サウンドで”持って行かれた”わけです。

ペニー・レーンには、床屋があって
店主ご自慢の客の写真を飾ってる
そして行き交う人たちはみんな
立ち止まって挨拶するんだ

角の銀行には車を停めてる銀行家
その後ろで子供たちが彼を笑ってる
銀行家はレインコートを着ないんだ
雨が降りしきってるのに
すごく不思議だ

ペニー・レインが今も僕の耳に、まぶたに残ってる
あの郊外の青い空の下を
僕は座って、思い出している   <拙い訳ですいません!>

 

 ペニー・レインは、ビートルズのポール、ジョン、ジョージの3人の出身地リバプールに実在する通りの名前で、その様子を思い出して書いている歌詞です。

 <レノン=マッカートニー>と作者表記されながらも、この当時は完全に別々に曲を書くようになっていたと言われているジョンとポールでしたが、ポールがこの曲を書き始めてジョンに歌詞の協力を仰ぐと、彼も快く引き受けて、二人でいろんなことを思い出しながら仕上げていったそうです。 

 新潟の、見渡す限り田んぼしかないw田舎町の小学生が、存在すら知らないイギリスの街の”ご当地ソング”に夢中になったわけですから、ほんと不思議なものです。

 世界には自分の知らないワクワクするものがある、という感覚をその時に持ったんでしょうね。 

 その後、僕も中学くらいから本格的に音楽にハマるようになったのですが、ビートルズってもっと上の世代のもの、という先入観がずっとつきまとって、どっぷりハマるのをなんか避けてきた感じが正直ありました。

 でも「ペニー・レイン」を兄から無理やり聴かされた時の、”ときめき”なんて言葉初めて使いますけど、まさに”ときめき”がずっと影響していたんだということにずいぶんたってから気づいたというわけです。

 こういうことって本当に音楽じゃないと経験できないことですよね。

 

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ゆるグルテンフリー

ジョコビッチの生まれ変わる食事 」って本はかなり早い段階で読んで、えっ小麦を抜くとそんなに変わるのか!と驚いたのですが、すぐ実戦するまではなかなかいきませんでした。ラーメンやパスタとパンは日常的に結構食べてましたから、いくらなんでもやめられそうもないなあと思って。でも、そんなに体調が激変するのなら、と思っていまから6、7年前から小麦粉を減らすようにしてきました。100%やめるんじゃなくて、”ゆる”グルテンフリーですね。

 何かをいきなりやめるってかなり難しいじゃないですか。なので<小麦をやめる>というより<米粉に変えてみる>という意識をメインにしました。

 ちょうど近くに美味しい米粉パン屋を見つけたり、ラーメンもパスタも米粉のものを売っている店を見つけました。ここ2〜3年でスーパーでもグルテンフリーものは増えてきましたしね。

 米粉に変えてもだいたい慣れてしまうもんですが、ギャップが一番あるのはやっぱりパスタですね。つくづく小麦の国の食べ物なんだなあ、と思います。なので、おいしく食べたいときにはたまに普通のパスタも食べてます。(同様にピザも米粉は難しいですね)

 次はラーメンです。パスタほどの落差はないですけど、やっぱりたまに普通のラーメンを食べたくなることもあります。

 パンはけっこうOKです。米粉と小麦粉ミックスしたものも最近ありますしね。

 全く問題ないのは、パンケーキとかホットケーキとか、これはもう米粉のほうがいいくらいです。もちもちしておいしいです。チヂミも全然大丈夫です。試してないですけどたこ焼き、お好み焼きも僕は大丈夫な気がします。

 それでグルテン減らして目に見えるような効果はあったのか?というとよくわからないです(笑。なぜ効果がよくわからないかというと、老化が並行して進行しているからです(苦笑。(コロナ感染やワクチン接種以降は、どうも倦怠感、疲労感が少し増えた感覚もありますしね。。。)

 ただ、たまに小麦粉を使ったものを食べすぎると、腸の調子が悪くなる感覚はあります。膨満感もあります。

 4年前に酒もやめたんですが(昔はかなり飲んだんですが)、たまに付き合いで飲むとすぐ酔いがまわって頭が痛くなるようになりました。酒は強い自信があったんですけど。

 なので、小麦もアルコールも摂りすぎはよくないということは実感としてわかるようになりました。

 なぜ小麦粉や酒をやめようとしたかというと、長生きしたいという気持ちはほとんどなくて、とにかく今現在なるべく体調がいい状態で過ごしたい、ということに尽きます。

 若い頃は酒をガバガバ飲んだ後、ラーメン食べるなんてしょっちゅうでしたから、それを思うと自分の内臓に本当に申し訳ないことしたなあ、と思います。今さらですけど。内臓が元気だったのとストレスで麻痺していたという両方あったんでしょうね。

 あきらかに痩せました。体重で4~5kgくらい。大学生の時以来の体型になったので内心浮かれてると、妻をはじめ全員から「人間ドックちゃんとうけてる?」って言われるんですよね。

 たぶん加齢による慢性的な疲労感はありますから、何言ってんだよバリバリ元気だよ!と堂々と言い返せないのがまた辛いところですが、、。

 歳をとってから痩せると、病気にしか思われないという、のはなかなか切ないもんです。

 そういえば昔、沢田研二さんが、歳をとって痩せるとシワが目立ってそれが嫌だからからわざと太ったんだ、と何かで語っていたことを思い出しました。。。

 

 

蒙古の怪人 キラー・カーン

 昨年末に亡くなられたプロレスラーのキラー・カーンさんには一度お会いしてみたかったなあ、彼がやっていたお店に一度行っておけば良かったなあとすごく後悔しています。

 実は僕は彼と同じ新潟県西蒲原郡吉田町(現在はお隣だった燕市に吸収合併されています)の出身で、彼は小中学校の先輩にあたるんです。ご実家は薬局を営まれていました。

 まだ僕が小学生の頃ですけど、地元の広報誌に彼の記事が出ていて、同じ町出身のプロレスラーがいるんだって驚きました。僕はその頃TVアニメの「タイガー・マスク」がきっかけでプロレスにハマっていたので興味津々でした。その後もその広報誌に彼の記事がたまに載っていました。まだ無名だったのに彼は日本から海外に武者修行に行っている間も町に寄付を続けていたと記憶しています。

 海外での大活躍を受けて彼が日本に凱旋帰国したのは僕が高校生の頃だったと思います。ちなみに僕が通っていた高校のある新潟県三条市ジャイアント馬場の出身地でした(別に僕の地元は”巨人”ばかりじゃないですよ。。でも馬場さんもカーンさんも新潟人っぽいんですよね。特に口元とかしゃべり方とか)。

 いよいよ小沢さん(キラー・カーンさんの本名)が日本のプロレス中継に初登場するということで、学校のプロレス好きの男子の間では盛り上がりました。地元から生まれたヒーローなわけですから。ただ、「キラー・カーン」というリング・ネームでなんか悪役っぽいぞという前情報はありました。

 当日僕はTVの前でワクワクしながら待ち構えていました。そして、いよいよ彼の出番になりました。すると、毛筆調の派手な文字で、確か

「蒙古の怪人 襲来」

 と(多少違ったかもしれませんが)テレビ画面いっぱいに映し出されました。そして、モンゴルの衣装を身にまとって頭は弁髪にした”キラー・カーン”が入場してきたわけです。

 ”おらが町のヒーロー”がモンゴル人という設定で帰還したわけで、何とも複雑な気持ちになったことをよく覚えています。

 しかも、甲高い奇声をあげながら両手で顔面を挟むようにチョップする”モンゴリアン・チョップ”というのが得意技で、アントニオ猪木のようなカッコいいスタイルとは真逆だったんですよね。

 じゃあ、強くて憎たらしいヒール(悪役)かというとそうでもなくて、ある試合で相手選手の凶器攻撃で頭から血を流すと甲高い奇声をあげながら逃げるように転がり回ったことがあって、すると解説者の山本小鉄さんが

「昔から小沢は血を見ると急に弱気になるところがあるんですよ」

と言ったんですよね。そんな話の流れで本名を明かさなくてもいいじゃないか、って僕はちょっとムッとしましたがw。。

 イメージとはかなり違ってはいましたが、僕はプロレス中継を見るたびに彼を応援しました。彼の人間味というか、実はすごくいい人なんだって感じがだんだんとわかってきたんです。ずっと見てるとそういうのって滲み出てくるもんですよね。多くのファンの人にも伝わったんじゃないでしょうか、彼は”悪役”なのに妙に愛される人気レスラーになっていきました。

 しかし彼は40歳で引退してしまうんですね。プロレスは50歳60歳でも続ける人がザラで40歳なんて全盛期の年齢です。プロレスの世界であまりに理不尽に感じることがあって、続けられないと思ったようです。とんでもない額のギャラも積まれたそうですが、それも蹴ったと言われています。

web.archive.org

 優しく、でもまっすぐで頑固な人だったんでしょうね。

 古舘伊知郎さんのYouTubeチャンネルで彼について語っている動画があって、その中で、古舘さんが彼に悪役は大変だねと言ったら

「そんなことないよ、ヒールだって認められて、プロとしてうれしいじゃん、これも仕事のうちよ」とニヤッと笑ったそうです。

 社会の中で生きていくと、自分が思っている自分や、自分が憧れているイメージとは、かなり違った役割を割り当てられることがあります。いや、そっちの方がずっと多いでしょう。

 でもそれを懸命にまっとうしていくと、そこに本来の自分がじわじわと滲み出てきて、その役割と不思議にミックスされ、なんとも味わい深いキャラクターが生まれるように思うんですよね。俳優でも悪役で有名だったのに後年すごく親しまれる人が多いのもよくわかる気がします。

 そんなことを、僕が一番好きなレスラー、キラー・カーンさんのことを考えながら思ったわけです。

 

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田淵幸一のホームラン

 僕は幼い頃からの阪神ファンです。新潟出身ですし、まわりには関西の人間は一人もいなかったんですけど、、。実際、友達は100%巨人ファンでした。1975年に”赤ヘルブーム”があった時には突然広島の赤い野球帽をかぶるやつが増えましたけど。

 なので、同じ新潟出身で虎党の代表的存在になっている俳優の渡辺謙さんにはすごくシンパシーを感じてしまいますw。

 どうして僕がタイガース・ファンになったのかあらためて考えたんですけど、たぶん保育園の頃、見ていた図鑑でいちばん強い動物は何?みたいなページがあって、主役がライオンだったんですけど、それの対抗馬として虎も乗ってたことがきっかけだった気がします。

 なぜか僕は1番のものよりその対抗馬を応援する気質が生まれつきあるみたいで、百獣の王ライオンのライバルである虎をチーム名にしていて、本拠地が東京に次ぐ二番手の大阪で、人気NO.1の巨人のライバルである、と、阪神は”対抗馬”の条件を完璧に揃えていたわけです。

 「巨人の星」も花形満にひたすら肩入れして見ていました(花形のキャラはどう考えても阪神っぽくはないですけど)。

 野球シーズン中は家に届いた新聞のスポーツ欄を真っ先に広げて阪神の試合結果をチェックしてから小学校に行ったものです。

 昨年はその頃のことがふと懐かしくなって、久々に阪神にズッポリハマろうと思って<虎テレ>に契約して、ネットで試合をたくさん見ました(2軍の試合までw)。そうしたら日本一にまでなったのでホントびっくりしました。

 

 小学校の頃、僕が特に好きだった選手が田淵幸一さんで、これまたいちばん人気があってホームランを打っていた王選手の対抗馬だったからなんです。

 で、当時阪神が新潟で試合をしたことがありました。相手は大洋ホエールズ(今のDeNAベイスターズ)でした。たぶん僕はすごい興奮していたんでしょう、それを見かねて野球になんて全く興味のなかった父が僕を連れて行ってくれたんです。

 ホームランボールをキャッチできるようにグローヴと、万が一田淵選手からサインがもらえたらと思ってボール(近所のスポーツ店に硬式球がなかったので軟式球でしたがw)も持っていきました。

 試合が行われたのは鳥屋野(とやの)球場というところでした。席はレフトスタンドの真ん中より少し前くらいだったと思います。

 そして、その試合で田淵(ここから呼びすてになります。すみません)はホームランを打ったんです。

 大谷翔平のホームランはスタンドまで一気に”ズドン”みたいな打球が多いですけど、田淵のホームランは高々と舞いあがる”滞空時間の長い美しい放物線”を描くことで野球ファンからは知られていました。そのときのホームランも僕の頭上の少し左側をまさに”高々とした放物線”で超えて行きました。

 試合の内容は完全に忘れていたのですが(苦笑、大好きだった田淵のホームランを見上げていたあの瞬間の映像だけは今も頭の中にはっきり残っています。ちょっと大げさなんですけど、夢のような記憶として。

 でも何十年も経ってみるとその記憶は本当に夢だったんじゃないかとも思えてきて(もう自分の記憶力に自信が持てない年齢なんです)無性に気になってネットを調べたら見つかりました。

 1973年5月13日 阪神1-5大洋

 阪神は負けてたんですね(苦笑。そして、田淵が13号ホームランを打ったとありました。阪神の唯一の得点が田淵のホームランだったわけです。そして、それが鳥屋野球場で行われた最初で最後の阪神の公式戦だったそうです。

 そう思うと、あの場にいれて本当に幸運だったんだなと思いました。5年前に亡くなった父親に心から感謝できる数少ないことのひとつですね(笑。

 

 

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”しっくり”探しの旅〜キッチンスポンジ

 ついつい見てしまう番組に、土曜の朝にやっている「サタデープラス」があります。特にその中の”ひたすら試してランキング”なんですけど、

”どら焼き”とか”冷凍チャーハン”とか毎回1品目選んで、いろんなメーカーから発売されているものを実際食べたり、試したりしてランキングを出す、というコーナーです。

 きっかけはコロナのステイホーム期間になったばかりの頃だったと思うんですが、キッチンスポンジを取り上げていたのをたまたま見て、それで1位になった”サンサンスポンジ(ダイニチコーポレーション)”を買ってみたんですよね。単にステイホーム中のでやることがなかったから(苦笑。で、これがすごく良くかったんです。

  うちは妻が料理を作ってくれるので僕は食器洗い担当を長年やっているんですけど、それまでは、飽きないようにスポンジはいろいろ変えてたんですね。でも、これを使い始めたらもう、使いやすさとか手の馴染み具合とか耐久性とか、猛烈に”しっくり”したんです。以来、3年以上ずっとこれですw。

 日用品や日常食べるものは、誰だってなるべく良いものがいいわけですから、そういう情報として貴重なコーナーだと思いますが、情報だけだったら番組のHPで結果だけチェックすればいいわけで、僕がついつい見ちゃうのは、

 いろいろ試して、たくさんハズレや失敗も経験してから、ベストなものにたどり着く、

  というプロセスが好きだったからだってことに気づいたんです。

  逆に、その時その時の流行やトレンドをただただ追いかけてさまよい続けるような姿勢は昔からどうも性に合わなかったんですよね。

 ただ、今みたいな不安が充満しているような世の中では、”しっくり”という感覚がすごく大事になっていくように僕は思うんです。”トレンド”じゃなく”しっくり”するものを一つ一つ見つけていくことが結果的に自分のメンタルを守ってくれるというか。

 でも”しっくり”って強い刺激がある感覚じゃないですから、ストレスが多いと麻痺してしまうこともある気がします。あと、同調圧力じゃないですけど、すごく流行っているからとか、〜ですごく高く評価されてるからとか、みんなと同じものを受け入れちゃって安心することも、”しっくり”とは真逆の行為です(内心はそれほどじゃないと思うことだって多いですよねw)。

 食べ物で言ったら、毎日3食食べちゃうみたいな中毒性のあるものじゃなくて、気がついたら何年も毎週何回かは食べてた、みたいな”飽きないもの”でしょうか。

 人間関係だったら、いまだにずっと連絡を取り合っている数少ない友達なんていうのはすごく大事ですよね。

 ”しっくり”するものってある意味自分を映しだしているものですから、日常のささやかなものから人間関係まで、いろいろ試して失敗しながらながら、自分がしっくりするものを一つ一つ見つけていく<しっくり探し>こそが、実は<自分探しの旅>なんじゃないかなんて思ったりもします。

 僕の場合はそのきっかけが、キッチンスポンジだったわけですが(笑。

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”自分”てなんだろう?(2)〜橘玲『スピリチュアルズ「わたし」の謎』

 2021年に発売された橘玲さんの『スピリチュアルズ「わたし」の謎』は、自分って何だろう?というテーマの最も新しい検証の本です。

 ”スピリチュアル”とはこの本の中では「無意識」に「魂」を重ね合わせた言葉で

「わたしもあなたも、たった”8つの要素”でできている」

 という理論を、最新の脳科学進化心理学、行動遺伝学などの最新のデータをたくさんおりまぜながら実証していくんですね。

"8つの要素”とは以下のことです

(1)明るいか、暗いか(外向的/内向的)

(2)精神的に安定しているか、神経質か(楽観的/悲観的)

(3)みんなといっしょにやっていけるか、自分勝手か(同調性)

(4)相手に共感できるか、冷淡か(共感力)

(5)信頼できるか、当てにならないか(堅実性)

(6)面白いか、つまらないか(経験への解放性)

(7)賢いか、そうでないか(知能)

(8)魅力的か、そうでないか(外見)

 人が”他者に出会ったとき(無意識に)注目する”要素”はこの8つに集約され、すなわち他の人から見た”あなた”はこの8項目で判断されている、というわけです。

 他者から見た自分、という点が大事なんですね。

 自分から見た自分なんて自分でもわかりませんし(言いまわしがくどいw)、きっと永遠の謎のままです。”自分探し”をするのは、その動機を探っていくと、他者との関係や社会の中での自分というものに何らか疑問や問題を感じているからなんじゃないでしょうか。

 他者から見た自分というのを客観的に再検証することが、”自分”を知るための最新のアプローチ方法であり、この世の中で”自分が生きやすくする”最善の方法なのかもしれません。

 この本に書かれている最新の実験結果や検証、考察は興味深いことばかりなんですよね。例えば、外向的か内向的かは、不快な刺激に鈍感(外向的)か敏感(内向的)かで決まる、とか、一般的に良いとされる「共感力」もそれが高いと排他的になり(「愛は地球を救う」のではなく、「愛」を強調すると世界はより分断されるのだ)、博愛主義者で知られるマザー・テレサガンジーは近い人間にはかなり冷淡だったそうで、共感力が低かったが上に「博愛」の思想を持つことができたんじゃないかという考えもすごく腑に落ちるものでした。

 

 それから、人間のパーソナリティは大体50%は遺伝で決まるもので、残りの50%は”非共有環境”つまり学校なんかの友達関係に大きく左右されて、子育ての努力はほとんど影響がない、というのもなかなか衝撃的なデータです。

 宿命(遺伝)半分、偶然(友達関係)半分、ってことになりますから、必死に何かに抗うように自分の性格を変えようと努力するのはただただ辛いだけなのかもしれないですね。

 

 橘さんは最後にこの本をこんな風に締めていて、僕も今現在の”最適解”のように思います。

『「自分さがし」というのは、突き詰めて考えるなら、自分のキャラ(パーソナリティ)とそれにあった物語を創造することだ。おそらくは、人生にそれ以外の意味はないのだろう。』

 そう考えると、このアプローチは世界中を放浪したりすることじゃなくて、昨日のブログで紹介した、みうらじゅんさんの<憧れているけど自分になれる可能性のないものをどんどん消していって、最後に残ったものにハマって生きる)という<自分なくし>の方にかえってかなり近いんじゃないかと僕は思いました。

 

 

 

 

”自分”てなんだろう?(1)〜村上春樹「一人称単数」

 前に<自分探し>って流行りましたよね。「自分探しの旅」とか。思い返してみると、僕は”自分”って何だろう?とか一度も本気で考えたこともないし”自分探しの旅”にも出かけたこともないです。

 でも、そういう方向に向かう気持ちはすごくわかる気もします。でもなんかどこか違うような、という気持ちもありました。

 そんな時にたまたま、みうらじゅんさんの「最後の授業」という番組を見て、まさに”目から鱗が落ちました。そこでみうらさんが提唱する<自分なくし>という意見はものすごく納得できたんですよね。<自分が憧れていてもそうなれる可能性のないものはどんどん消してゆくとあんまり好きじゃない変なものだけが残る。でも、それがやがて光って見えてくる>そんなことをおっしゃっていたと思います。

 自分は無性に惹かれるけど、人から変に思われるものにとことんハマって、たとえ飽きても無理やりハマり続けるみたいなこともおっしゃっていましたが、これなんてまさに<自分なくしの旅>だと思います。

 <自分探し>には”自分は特別なんだって思いたいという渇望”を感じてしまうのですが、<自分なくし>は”生まれついた自分をただただまっとうすればいいんだという悟り”のように思えます。

   それから「最後の授業」の中でみうらさんは”みんな自分に対しては真面目すぎて病気なんだ”と語っていて、これもまたすごく納得できます。若い頃は僕もあちこち旅をしましたが、旅先の安宿で出会った”放浪を続けるバッグパッカー”たちはみんな真面目ですごく優しい印象の人たちでした。

 僕はと言えば、頭の中にけっこう大きめの”自分”というのがずっといて相変わらず持て余しています。もういい年なんですけどね。そして、<自分探し>まではしないけど<自分なくし>もできないままここまで生きてきてしまった感があります(苦笑。

 他人のことはかなり<ステレオタイプ>にとらえてちゃっちゃとすませているのに、自分のことは<レイアウトが決まらず散らかったままの部屋>みたいにずっと保留状態です。

 他の人もきっと自分のことなんて<ステレオタイプ>で見ているでしょうから、他の人から見た<自分>をあらためて意識してみた方が自分のことがわかるのかなあ、なんて思ったりもします。

 

 村上春樹さんの短編で「一人称単数」というのがあって、主人公があるバーで他人から全く身の覚えのないことでひどく非難されるという話です。

 普段は誰もが、単純にとらえられない「自分」をぼんやりと認識していると思うんですけど、自分では思ったこともない<自分>を突然見ず知らずの人間から突きつけられたことで、すっかり混乱してしまうんですね。

 頭の中の「自分」とは全く違う「自分」というものがあることに気づかされるわけです。これが「自分」です、なんていう決まったものなんてないよ、ということなんでしょうね。

 

 それから、同名の短編集「一人称単数」に収められている「クリーム」という短編では、主人公の前に突然現れた老人がこういう謎の言葉を残すんです。

「中心がいくつもあってやな、いや、時として無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」 


主人公はそれをこう考察します。
「それはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう」  

 僕は、その円は自分の中にある「自分」じゃないかと思いました。自分自身がとらえる「自分」というのは他の人との関わり合いの中で絶えず変化してゆくもの、自分自身の評価も他人からの評価も決して定まることはない、それを例えるなら”中心がいっぱいあって外周のない円”みたいな、とらえようのないもの、ということなんじゃないかと。

 そう考えると、自分なんてどうしようもないほど”つかみどころのないもの”なんだから、あんまり真剣に悩まないで、ふだんはなるべく無視して(笑、他の人から見た<自分>を突きつけられることがあれば、その時にあらためて省みてみる、くらいが精神衛生的にもいいのになあ、なんて思いました。