何年か前に話題になった本「レオナルド・ダ・ヴィンチ(ウォルター・アイザックソン)」は、意外なダヴィンチ像がわかってかなり驚きの本でした。
僕なんか「モナリザ」と「最後の晩餐」くらいしか知らなかったんですけど(苦笑。
でも天才、という言葉で真っ先に思い浮かべるのは彼なんですよね。幼い頃にはその名前は聞いていましたから、とにかくすごい人だって。その刷り込みですね。
彼がいろいろな分野で才能を発揮させたスーパーマンらしい、というのは多くの人が知っているわけですが、そこに ”謎が多い”存在だということが、彼をいっそう神格化させているのじゃないでしょうか。
天才アーティストと呼ばれる人に共通する、例えば<好奇心旺盛><飽きっぽい><細部や直接見えない部分に徹底的にこだわる>という気質は彼にもあったようですね。
ただ、意外だったのは、
*30歳過ぎるまで世に認められなかった「遅咲き」だということ(世に言う天才は若くして頭角を現す人が多いイメージがあります)。
*生涯に渡って科学の分野でも研究を続けたのに、正規の教育をいっさい受けていなかったということ。
*共同作業で作られた作品も少なくないこと。
*容姿は圧倒的に美しく、どこまでも優雅、驚くほどハンサムで、性格は温厚、社交的で会話も面白い、など、欠点のないキャラクターだったこと。
(それに対して、ミケランジェロは、鼻が潰れ、背骨は曲がって、垢抜けない身なりをした気難しい人だったと言います)
この本で強調されているのは、”科学者”としてのダヴィンチと”芸術家”としてのダヴィンチが、しっかり繋がっていたということなんですね。例えば、たくさん解剖をやっていて筋肉の動きを調べたり、光学の研究で光と影の関係性を熟知していたことなんかが「モナリザ」に反映されているらしいんです。(モナリザを描いている最中も、彼は解剖をし、人の顔の筋肉の動きを調べていたといいます)
スティーブ・ジョブズの有名なスピーチに、
「点と点をつなぐ」(connecting dots)というのがありますよね。過去に彼がカリグラフィー(字を美しく見せる書法)を学んでいたことが、後にフォントという概念を作り出すことにつながったという自身の経験から得た教訓、人生の法則、のようなものです。一見なんの関連性のない過去の経験が、ふいにつながり新しいものが生まれるということを意味しています。ただし、意識的に繋げようとして何かをやるのではなく、未来にそれがつながることを信じて、いまの自分の興味や情熱があるものに専心しなさい、と彼はメッセージしていたそうです。
そう考えると、ダヴィンチの生涯は、まさに最大級のスケールの”connecting dots"だったわけですよね。「モナリザ」なんかは、まさに彼の数々の「点」(dots)が一気につながって集約されたものだったのかもしれません。ただし、彼は「モナリザ」を描くために、解剖学や光学を学んだわけじゃなかったわけです。いろんなことに夢中になったことが、あるポイントで繋がっていったということなんですね。
それから、誰も気づかないレベルの「細部」まで徹底してこだわる、というのもダヴィンチの大きな特徴です。「細部」まで、でなく「細部」にこそこだわる、と言った方がいいのかも知れません。
僕はずっと音楽の仕事をしていますが、優秀なクリエイターに限って、普通の人にははっきりと聴こえない部分にまで異常にこだわる傾向があります。そして、そういう細部にまでこだわり抜いた作品は不思議と繰り返し聴いても飽きないんですね。
映画好きには、黒澤明の細部へのこだわりの凄さは有名ですよね。
最初から全体のバランスをとりながら作ったものは、どうしても作品自体の熱量が下がるというか、奥行きや深みのないものになりがちなのかもしれません。実は、細部を丹念に掘り下げていくことだけが、「普遍性」にたどりつける唯一の道なのかもと思ったりします。
さて、この超天才の伝記を読んで、僕も興味を持ったものにいろいろ手を出してみようかな、なんて考えてしまうわけですが、でもきっと、僕のような凡才の場合「多芸は無芸」で終わってしまうだけでしょう。
僕は、ずっと長い間「多芸は無芸」は欠点だと信じてきたんです。結局、役に立つレベルの技術がないわけですから。
好きなものに専心する、一芸に秀でる、ことこそ素晴らしい、と。イチローとか大谷翔平とか野球一筋ですよね。でも、自分にはその一芸ってものがないんだよなあ、と結局いつも自己嫌悪で終わる、そんな人生でした。
ただ、僕もかなり長いこと生きてきましたが、「多芸は無芸」タイプの人の方が圧倒的に人生楽しんでそうに見えます。間違いなく。
ダヴィンチやスティーブ・ジョブスのようなconnecting dotsがたとえ起こらなくなくても、その過程が楽しいものならば、「多芸は無芸」でいいのかもなあ、「天才のマネ」で終わっても十分じゃないかなんて、と今さら思ったわけです。