ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

良性発作性頭位めまい症

 3週間前のことなんですが、夕食を食べ終わって食器を洗っていると目がまわる感じがしてきて、じっとしているとしばらくしておさまったのですが、動き始めるとまたぶり返してきました。

 気になってネットで調べると眼精疲労が原因かもしれないと思って、とりあえず布団に横になり、首筋を強めに揉みはじめると、天井がグルングルンと大きく回り始めてかなりの吐き気も感じました。そんな経験は今までなかったので、なんかヤバいなと思って、妻を呼んで夜間にやっている病院に連れて行ってもらうことにしました。

 でも、めまいが治ったタイミングで体を起こそうとするとすぐに目がすごい勢いで回り始めてバランスが全然取れず立てないんです。

 僕は体がデカくて妻も娘もとても支えられないので救急車を呼ぶことになりました。

 5年前に母親が老人ホームで倒れて、病院に運び込まれて「目がまわる」と言った後眠り始めてそのまま昏睡状態になり数日後に脳内出血で亡くなったということがあったので、僕も妻も心配になったということもあります。

 人生初の救急車でした。運ばれる途中で何度も吐いたので、正直言って”もしも”のことも頭に浮かびました。人って”やりかけ”のものだらけで死ぬものなんだなあ、とか考えたり。

 

 病院に運び込まれると、いろいろ診察され、ゴーグルみたいな目鏡(フレンツェル眼鏡というようです)をかけて、頭を右上方、左上方に交互に傾けて瞳孔の動きをチェックしたりした結果、「良性発作性頭位めまい症」というめまいの中では最もポピュラーな(!)ものだろうということでした。

 お医者さんのフォローで頭を動かしたり(エプリー法といようです)するうちにある程度症状が落ち着いてきたので、帰宅できました。

 

 ネットで調べると「良性発作性頭位めまい症」は内耳の三半規管(半規管)に、耳石という小さなカルシウムの結晶が入り込むことで起こるそうで、加齢、ストレス、カフェイン摂取などいろいろ原因があるみたいですが、長時間のデスクワークでずっと同じ姿勢でいる人に多く起こるらしいです。

 僕は想定される原因のほとんどに心当たりがありました(笑。

 

 強い頭痛、難聴、耳鳴りなどはなく、頭を左右どちらかに傾けると強く症状が出る(僕は左でした)というのが「良性発作性頭位めまい症」の特徴で、メリエール病や脳のトラブルとの見分けかたになるようです。

 

 その後は回転性のめまいは再発しませんでしたが、2週間くらいは歩いていても体がふわっとするというか、平衡感覚がしっくりこない感じはありました。

 とにかく大事にならなくてよかった、とありがたい気持ちにもなったのですが、それにしても、内耳にごく小さな耳石が入り込むだけで、あんなにひどいめまいが起こるなんて、人間の体ってかなり繊細なバランスでキープされているんだなあ、とあらためて思ったわけです。

 

 

神社とコーヒー(2)箱根篇〜箱根神社とCAFE Ryusenkeiそして甘酒茶屋

 昨日は箱根で一日過ごしました。

 スタートは彫刻の森美術館の隣にある囲炉裏ゲストハウス<天幕>の駐車場に停められた一台のキャンピングトレーラーがカフェになっている<CAFE Ryusenkei>。

cafe-ryusenkei.com

 このカフェのオーナーの合羅(ごうら)さんは古くからの知り合いで元々はレコード会社でユーミンキリンジなど数々の素晴らしいアーティストのディレクターをやられていた方。音楽業界を離れてカフェを始めて昨年で10周年とのこと。

 地元の方だけでなく、ビジネスで訪れる方、そして海外からの旅行客までリピーターになってしまう<特別な空間>を提供してくれるカフェです。

 中米産のスペシャリティ・コーヒーの名店”カフェテナンゴ”(世田谷区深沢)から仕入れた豆を一杯一杯丹念にハンド・ドリップするコーヒーも絶品。濃厚でコクのあるNO.1と華やかな酸味が楽しめるNO.3の2種類あります。朝食として僕は一緒にホットサンドをいただきました。

 そして、そこから歩いて5分ほどのバス停<二の平>から箱根登山バス(Hライン)に乗り<元箱根港>まで乗車時間は約15分。平日の午前中でしたが、バスの中は海外からの観光客でぎゅうぎゅう詰めでした。。。

 降りたバス停から7~8分歩くと箱根神社に到着。参拝するのは7~8年ぶり。前からなぜか行きたくなっていたんですよね。

 僕は源氏の末裔でも何でもないのですが、昔から鎌倉の鶴岡八幡宮に惹かれて厄払いもやってもらったこともあって、仕事部屋にも御札を掲げているのですが、箱根神社もなぜか気になるので調べてみると、源頼朝に深く信仰されていて鶴岡八幡宮に次ぐ幕府の準宗祀だったそうなんですよね。ただ、僕の苗字の「堀」はルーツをたどってゆくと源氏にたどり着くと書いてあったのを見たことがあるので、何か縁があるのかなあ、などとも考えたりしました。

 

 *やっぱり神社というと背景に山林、その上空に広がる空という構図がいいですよね

 

 箱根芦ノ湖畔には<九頭龍神社>があって、辰年生まれの僕はぜひ行きたいところでしたが徒歩で一時間以上かかるというので断念、ただ、箱根神社の本殿の隣には九頭龍神社の<新宮>があるので、そちらを参拝しました。

 

 そして、CAFE Ryusenkeiの合羅さんから勧められて<甘酒茶屋>に行ってみることにしました。

 元箱根港のバス停から箱根登山バスの今度は”Kライン”に乗りました。箱根旧街道を走る路線で、昔は参勤交代で使われた道で途中休憩用に茶屋がいくつもあったそうで、その名残で<〜茶屋>というバス停がいくつもあります。甘酒茶屋は<甘酒茶屋>というバス停のまさに目の前。唯一今も営業している茶屋です。

 江戸初期に創業され現在のご主人が十三代目というお店。江戸時代から変わらない味だというノンアルコールの甘酒と”いそべ”の力餅をいただきました。

 無添加の甘酒は確かに美味しく体の奥からゆっくりと力が戻ってくるような感じがしました。昔は参勤交代の移動で疲れた体を甘酒を飲むことでリカバリーしていたのかもしれません。

 確か数年前に甘酒は”飲む点滴”としてその栄養価の高さで脚光を浴びましたが、そんなことは江戸時代の人たちには”常識”だったんでしょうね。

 

 

 

 

 

松本俊明さんと「それからの海」

 MISIAの「Everything」で知られる作曲家/ピアニストの松本俊明さんと一緒にお仕事をさせていただいたことがあります。2009年から2018年の約9年間ですから、けっこう長い期間です。

 僕の主な仕事は、他のアーティストに楽曲提供する際の仲介、テレビやメディア関係者へのプロモーション、松本さんがアーティストとして作品を作るときの制作担当といったことでした。

 その中で特に強く記憶に残っているのは「それからの海」という2012年3月11日に放送されたNHKのドラマの音楽を松本さんが担当された時のことです。

 それは東日本大震災を扱った一番最初のドラマでした。あれだけの災害で、まだ半年ほどしか経っていなくて復興の道筋さえまだ全然見えてこない時期に始まった話でしたので、被災者の方々に理解していただくためにドラマのスタッフの人たちは現地に足繁く通い、長期滞在もしながら交流を深めていったそうです。

 そういう経緯もあったので、ドラマで流れる音楽も実際に被災地を巡って感じたものを反映させてほしいというリクエストがあり、松本さんと僕とで岩手県宮古市釜石市、そしてドラマのメインの舞台になった田野畑村を訪れ、NHKのプロデューサーの方に案内していただいて被害のあった場所やドラマに出てくる予定の場所や仮設住宅などを巡りました。震災から8か月後くらいの時期だったと思います。

 瓦礫が撤去されて更地になったエリアを何ヶ所か見たのですが、ここには家がたくさん立っていたんですよと説明されても、正直なかなかリアリティを感じることはできませんでした。

 僕は茨城のつくば市に住んでいて当時震度6弱の揺れは実際に体験したのですが、海から離れているので津波の影響はなかったんです。

 初めて訪れる土地だとばかり思いこんでいたのですが、田野畑村の「本家旅館」に行ったときにすごい既視感が突然湧き上がってきました。でも、時間とともにそれは「既視感」じゃなく実際に来たことがあったのだということに思い当たりました。

 20年以上前にそこに泊まったことがあったんです。僕がサラリーマン時代に仙台に赴任になったので、新潟に住む両親と兄が夏休みに東北旅行をしようと言ってきて、僕は旅好きの上司にいくつか宿を教えてもらったのですが、その一つが「本家旅館」だったんです。

 兄がずっと運転していたので僕は土地勘をちゃんとつかめていなかったんですね。

 家族で宿に到着して宿泊の手続きをしていると、漁師さんがやって来て、その日取れた魚を玄関先に並べて見せてくれたことを思い出しました。そして旅館のおかみさんが今晩出しますよ、と言っていて、夕食に本当に食べきれないほどの”刺し盛り”が出てきたんです。

 高台にある旅館なので、あの日玄関から見下ろすと、夕暮れの光を浴びたキラキラ光る海とその手前に広がっている漁村がはっきりと見えました。平和で穏やかな夏の光景で、僕はしばらくぼうっと見ていました。しかし、再び訪れて、同じ場所から見下ろした光景からは漁村が完全になくなっていました。そのギャップが突然リアリティになって、僕は津波のおそろしさを感じることになりました。 

 また、被害を受けて不通になっていた三陸鉄道の線路がドラマのシーンで使われるということで見にいった際に立ち寄った駅の喫茶店では、そこで働いている女性と話すうちにその方は津波で家族を亡くされたのだと知りました。でも”じっとしていても辛いだけだから、何か行動していないと”と気丈に明るく振舞っていらして、記憶にすごく残っています。

 大切な人を突然失って、その大きな喪失感に苦しんでいても、容赦なくやってくる新しい1日1日を乗り越えていかなくてはいけないんだという現実を思い知らされました。

 今年は石川県で大きな地震がありましたし、その前は長いコロナ渦がありましたし、そういう突然の大きな”喪失感”を抱えながら生きている方は世の中にたくさんいらっしゃるんだろうなと想像します。

 先週JUJUさんの「こたえ」という曲が先週3月6日に発売になったのですが、これは松本さんのメロディに僕が歌詞をつけさせてもらった歌です。

 最初はメロディを何度も聴きながら無意識から浮かび上がってきた言葉をつなげるようにしていたのですが、途中からこの歌詞は、大切な人や、大事な夢を失っても、毎日の”小さな光”をかき集めながら懸命に生きていく人たちのことを歌っているのだと気づきました。そして、それは、12年前に松本さんと一緒に被災地をめぐった経験がなかったら僕の中からは絶対に出てこなかったものだと思いました。

 

バブル世代に明日は来るんだろうか?

 

  いま話題のドラマ『不適切にもほどがある』を見ながら、そう言えばオレはマッチと同い年なんだよなあ、昔『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』って映画で主役だった阿部寛とも同い年かあ、ってことはオレってまさにバブル世代なのか、、そんなに”ハジけた”記憶はないけどなあ、まあ、確かに今の時代よりははるかに能天気ではあったかも、、などといろいろ考えてしまいました。

 景気がいいのが当たり前だった時代に青春時代を過ごしたツケがまわってきたのか、バブル世代の多くが、今の時代とズレを起こして、ちょっとうまく機能できていないような感じがします。もちろん僕も含めてですが。

 でも、そういう人間がトレンドに必死に食らいつこうとしたり、これはコンプラ的にアウト?セーフ?とかいちいち確認しながら対応しようとしても、根っこの考え方が昔のままだったら何も変わらないような気もするんですよね。

 

 僕は可能な限りなんとか自分をアップデートできないかなあと思っています。まだまだ現場で働きたいですしね。

 それで、パソコンで例えるなら、余計なデータは最大限削除して、その状態でインストールできるなるべく新しめの”OS"を入れてみるようなアプローチはできないかと思ったんです。

 まずは去年から”断捨離”してます。本とかレコードとかCDとか結構あったのでガンガン減らしました。最初は不要なものから始めたんですが、途中で逆に大事にしていたものから思い切ってどんどん処分したら、意外にスッキリした気持ちになりたんですよね。僕は音楽の仕事をしているので、まずは自分の中に新しい音楽が入ってくる余地も作りたかったですし。

 <考え方>についても、高校生くらいに戻ってリセットできたらなあ、と思ったのですが、それはさすがに無理なので、中高生向けの本を読んだりしています。最近は若い人たちに、これからの時代の”考え方、生き方”をアドバイスする良書が多いんですよね。

 たとえば 

冒険の書 AI時代のアンラーニング」(孫 泰蔵 )
「激変する世界で君だけの未来をつくる4つのルール 」(尾原和啓)
「さみしい夜にはペンを持て」 (古賀史健)
「きみのお金は誰のため: ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」」       (田内学)

 

 村上龍さんが書かれた「13歳のハローワーク」(2003年)あたりから<”学校じゃ教えてくれない将来使える情報”を伝えよう>というものが増えていきましたが、最近は「こういう考え方をしてみよう」と提案するものへと変わってきた感じがします。

 

 たとえば、尾原和啓さんの書かれた「激変する世界で君だけの未来をつくる4つのルール 」の4つのルールとはこういうものです。

(1)与える人になろう

(2)自分の意見を育てよう

(3)頼り頼られる仲間を作ろう

(4)ちがいを楽しもう

 

 深くうなづけます。不安の多い今の世界で生き抜いていくためのスタンスを明確に示してくれています。それを、僕がまだ若かったバブル期に照らし合わせると、4つのルールはこんな感じになってしまうような。。

(1)自分の得することばかり考えて

(2)自分の意見は特になく、多数意見に乗っかって

(3)表面的な付き合いを楽しんで

(4)同調圧力には従おう、、、、

 

 う〜ん。。。とはいえ、自分の生きてきた時代を否定しても気分が凹むだけですし、平和な時代を過ごさせてもらったわけですから、それで”逃げ切ろう”じゃなくて、今の時代でもなんらかちゃんと機能したいところです。

 いくら歳をとっても、心の中をほじくり返して、引っかき回せば、<中二>の自分は見つかると思うので、それを試しに起動させてみようか、なんてことも考えて、せっせと上記のような本を読んでいるわけですが、読みながらこういう本はひょっとしたらもともと大人が読むことを想定して書かれているんじゃないかとも思えてきんですよね。

 

 

<音楽鑑賞>から<人間同志が仲良くなるための音楽>へ

 僕が小学生の頃に、「平凡」と「明星」という二代アイドル雑誌があってすごく人気がありました。

 そこで紹介されているアイドルのプロフィールの「趣味」欄には<読書><テニス>と並んで<レコード鑑賞(音楽鑑賞)>というのが定番になっていました。もうコピペしてるんじゃないかってくらいに(あっコピペなんてない時代でした、、)。他には男性アイドルの場合は<ギター>とか<スキー>とか、女性アイドルは<料理><お菓子作り>なんかをよく目にしましたね

 ほとんどの趣味は今も通用しますが<音楽鑑賞>はほぼ絶滅しましたねw。

 goo辞書によると<鑑賞>とは

 ”芸術作品などを見たり聞いたり読んだりして、それが表現しようとするところをつかみとり、そのよさを味わうこと”

 と書いてあります。

  音楽とはアーティストや演奏者の”表現”であり、聴き手はそれをつかみとろうとするのが音楽鑑賞だったわけですね。

 その中で優れた”表現のつかみ手”であり、それを言葉でうまく言える人は音楽評論家になったのでしょうね。その他のファンも、作品やその表現にはどういう意味があるかを、けっこう熱苦しく語っていた時代があったのは間違いないです。

 ちょっと言い方がよくないですけど、アーティストや制作者がかなり高い位置にいて、リスナーがその下でありがたく聴かせていただくという、そんな<一方通行な>関係が当たり前なものとして受け入れられていたんだとも言えます。

 僕なんかまさに”音楽鑑賞”世代なので、その呪縛にずっとしばられて生きてきました。

 でも、世の中的にはかなり前から、聴き手側もずっと能動的な関わり方をするように変わってきたんじゃないでしょうか。音楽は鑑賞するものではなく<体験するもの>になってきていますね。ありがたく拝聴するのではなく、自分の人生の何かプラスになるものとして取り入れるようなスタンスに。

 でも、それは自然な流れなんでしょう。

 前にこのブログでもご紹介しました音楽学者の小泉文夫さんは、世界中の民族音楽を聴き、音楽の歴史をさかのぼれるだけさかのぼって研究された方なので、とても広い視点で音楽を見られていました。

 彼の本を読むと、音楽鑑賞が大ブームだった1970年代の段階で、観客が行儀よく聴くだけのクラシックのコンサートの不自然さに違和感を述べていましたし、レコードやカセットがこれからどんどん売れようとしているタイミングで、そういうものはしばらくは続くだろうけど、結局は自分で音楽をやる方向に帰っていくだろうとおっしゃっていたんですね。

 そして、50年近く前に彼が語っていた<音楽本来のあり方>は、2024年の今、これからの時代の音楽のあり方を予言しているような気がするんです。

「音楽は一人で作るんじゃなくてコミュニティがつくるものであり、音楽の本来のあり方というのは、人間同志が仲良くなるためにあるんであって、決して人間をコントロールするためにあるんじゃないんだ」 

                 (「音楽の根源にあるもの」) 

 アーティストの”表現”を聴き手が”鑑賞”する、というのはたまたまそういう時代の音楽のあり方だっただけで、音楽の本質はそういうものではない、そんなことに今さらながら気づきました。で、そういう時代はもう終わっているのかもしれません。

 CDから配信、そしてサブスクへと音楽を取り巻く環境はどんどん”進歩”しているように思いますが、それは同時に<音楽本来のもの>へと回帰する動きだったのか?そんな気もしてきました。

 <コミュニティが作る、人間同志が仲良くなるための音楽>ってどんなものだろう?そんなことを考えたくなりました。

 少なくとも今までのようにアーティストがファンに対してすごく上の立場にいるんじゃなくて、もっとフラットな関係で、<ファンベース>なコミュニティを作っていくことなのかもしれません。そして、アーティストやクリエイターとファンが双方向でハッピーになれることを目標とした仕組み作りになるのがベストだなと考えてみたりしています。

 

乃木神社(乃木坂)に行ってきました

 僕は仕事でどこかに行くときに、時間があれば近くの神社に立ち寄るようにしていますが、昨日は、僕がマネージメントと共同プロデュースをやっている葛谷葉子の打ち合わせで、六本木のソニーミュージックに行くのでその前に乃木神社に立ち寄って手を合わせてきました。

 神社で祀られている乃木希典については、中三か高一の時に大ヒットしていた映画「二百三高地」で仲代達也が主役として演じていた日露戦争を指揮した軍人というくらいしか知識はなかったのですが、全国には京都、那須塩原、下関、函館などの彼に縁のある土地にも「乃木神社」があるんですね。神社はその武勲によって国が作ったということではなく、彼は民衆から敬愛されていた人物だったので、その土地の人たちの声もあって建立されたのだそうです。

 乃木坂の乃木神社は夫妻の邸宅があった場所で、他の神社とは少し違う、表現するのが難しいですが、ストイックでキリッとした雰囲気をいつも感じます。

 中に入るとすぐに新年の「辰」が書かれたものが展示されていました。

 

 

nogijinja.or.jp

 

 

コパカバーナ怪談

 昨日のブラジルのカーニバルの話のついでに思い出したんですけど、サルヴァドールのカーニバルで思いっきり踊ったあと、リオデジャネイロに行ったんですね。

 もうカーニバルは終わっていて、後かたづけも一山越えて、街は落ち着きを取り戻そうとしている、そんなタイミングでした。

 僕たちの宿泊するホテルはコパカバーナにありました。大西洋に面したリゾート地です。古い洋楽ファンでしたらバリー・マニロウのヒット曲でお馴染みの名前ですね。

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 ただし、この歌に出てくる「コパカバーナ」はキューバハバナにあるクラブのこと。で、そのクラブのモデルになったのはニューヨークに実際にあった「コパカバーナ」という店で、でも、この曲を思いついたのはブラジルのコパカバーナのホテルだったというなんともややこしい背景があるんですよw。

 中学の時にこの曲が大好きだったので、コパカバーナに到着した時はうれしくて頭の中でガンガン鳴らしながら、すっかり僕のテンションは上がりまくっていました。

 宿泊するホテルはかなり歴史がある古い建物でした。相変わらず、コパカバーナを頭の中で歌いながらチェックインしていると、僕たち一行は5人だったんですが、僕だけ違うフロアになると言われたんです。

 まあしょうがないかと思って、みんなでエレベーターに乗って、他の4人は先に降りて、僕は確か2階上くらいのフロアに降りようとしました。

 エレベーターが開いた時、うわっヤバい、と思ったんです。僕は別に霊感とかないですけど、全身を悪寒が走りました。他の4人が降りたフロアとは全然空気感が違ったんです。そのフロアには全く人の気配がなくて、廊下の古いカーペットの色が濃い赤だったのをおぼえています。僕はふと映画の「シャイニング」に出てくるホテルを思い出しました。

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  バリー・マニロウから「シャイニング」って、落差があまりにデカすぎて、僕はすっかり混乱してしまいました。

 すぐみんなで外に出かける予定だったので、部屋に走り込んで荷物だけ置くと大至急ロビーに行きました。そして、外で夕食を食べお酒を飲みました。僕はホテルの嫌な感じは覚えていましたが、かなりお酒が入っていたのですぐ眠ればいいだろう、くらいに思って部屋に戻るとベッドに入り本当にすぐに眠りました。

 どれくらい時間が経ったのかはわかりません。気がつくと体がまったく動かず、自分が金縛りにあっていることが分かりました。でも目は開けることができました。僕の部屋は海に面していたのですが、その窓を通して手がいくつも伸びてくるのが見えたんです。寝ぼけているのかもしれないと思ってじっと見ていてもその手は消えません。そのたくさんの手は何かをつかもうとするような動きをしていました。

 僕はパニックになって、とにかくもがくだけもがいて、何か叫ぼうとしました。しばらくして足元から何か重いものがすうっと剥がれていくような感じで体が動くようになると、すぐにベッドの近くにあったライトのスイッチを入れました。明るくなると同時に窓からのびてきたたくさんの手は消えました。

 そして、僕は部屋中の明かりをつけたまま、呆然としたまま朝までずっと起きていました。

 

 こんな経験をしておいて何なんですけど、僕は幽霊や怪奇現象は絶対ある、とか主張したい気持ちは全然ないんですよね。そういうことってあるかもしれないし、ないかもしれないってとってもグレーなスタンスでいます。20年以上も前だから、なんか悪い夢でも見ていたのかなあ(それにしては鮮明でしたけど)と思わなくもないですし。

 教訓はただ一つで、なんか嫌な予感がした人や場所には近づくな、それだけは自分に言い聞かせています。

 季節外れの怪談ですみません!お口直し(?)に昔僕が書いた「コパカバーナ」の解説記事をどうぞ。

popups.hatenablog.com