ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

松本俊明さんと「それからの海」

 MISIAの「Everything」で知られる作曲家/ピアニストの松本俊明さんと一緒にお仕事をさせていただいたことがあります。2009年から2018年の約9年間ですから、けっこう長い期間です。

 僕の主な仕事は、他のアーティストに楽曲提供する際の仲介、テレビやメディア関係者へのプロモーション、松本さんがアーティストとして作品を作るときの制作担当といったことでした。

 その中で特に強く記憶に残っているのは「それからの海」という2012年3月11日に放送されたNHKのドラマの音楽を松本さんが担当された時のことです。

 それは東日本大震災を扱った一番最初のドラマでした。あれだけの災害で、まだ半年ほどしか経っていなくて復興の道筋さえまだ全然見えてこない時期に始まった話でしたので、被災者の方々に理解していただくためにドラマのスタッフの人たちは現地に足繁く通い、長期滞在もしながら交流を深めていったそうです。

 そういう経緯もあったので、ドラマで流れる音楽も実際に被災地を巡って感じたものを反映させてほしいというリクエストがあり、松本さんと僕とで岩手県宮古市釜石市、そしてドラマのメインの舞台になった田野畑村を訪れ、NHKのプロデューサーの方に案内していただいて被害のあった場所やドラマに出てくる予定の場所や仮設住宅などを巡りました。震災から8か月後くらいの時期だったと思います。

 瓦礫が撤去されて更地になったエリアを何ヶ所か見たのですが、ここには家がたくさん立っていたんですよと説明されても、正直なかなかリアリティを感じることはできませんでした。

 僕は茨城のつくば市に住んでいて当時震度6弱の揺れは実際に体験したのですが、海から離れているので津波の影響はなかったんです。

 初めて訪れる土地だとばかり思いこんでいたのですが、田野畑村の「本家旅館」に行ったときにすごい既視感が突然湧き上がってきました。でも、時間とともにそれは「既視感」じゃなく実際に来たことがあったのだということに思い当たりました。

 20年以上前にそこに泊まったことがあったんです。僕がサラリーマン時代に仙台に赴任になったので、新潟に住む両親と兄が夏休みに東北旅行をしようと言ってきて、僕は旅好きの上司にいくつか宿を教えてもらったのですが、その一つが「本家旅館」だったんです。

 兄がずっと運転していたので僕は土地勘をちゃんとつかめていなかったんですね。

 家族で宿に到着して宿泊の手続きをしていると、漁師さんがやって来て、その日取れた魚を玄関先に並べて見せてくれたことを思い出しました。そして旅館のおかみさんが今晩出しますよ、と言っていて、夕食に本当に食べきれないほどの”刺し盛り”が出てきたんです。

 高台にある旅館なので、あの日玄関から見下ろすと、夕暮れの光を浴びたキラキラ光る海とその手前に広がっている漁村がはっきりと見えました。平和で穏やかな夏の光景で、僕はしばらくぼうっと見ていました。しかし、再び訪れて、同じ場所から見下ろした光景からは漁村が完全になくなっていました。そのギャップが突然リアリティになって、僕は津波のおそろしさを感じることになりました。 

 また、被害を受けて不通になっていた三陸鉄道の線路がドラマのシーンで使われるということで見にいった際に立ち寄った駅の喫茶店では、そこで働いている女性と話すうちにその方は津波で家族を亡くされたのだと知りました。でも”じっとしていても辛いだけだから、何か行動していないと”と気丈に明るく振舞っていらして、記憶にすごく残っています。

 大切な人を突然失って、その大きな喪失感に苦しんでいても、容赦なくやってくる新しい1日1日を乗り越えていかなくてはいけないんだという現実を思い知らされました。

 今年は石川県で大きな地震がありましたし、その前は長いコロナ渦がありましたし、そういう突然の大きな”喪失感”を抱えながら生きている方は世の中にたくさんいらっしゃるんだろうなと想像します。

 先週JUJUさんの「こたえ」という曲が先週3月6日に発売になったのですが、これは松本さんのメロディに僕が歌詞をつけさせてもらった歌です。

 最初はメロディを何度も聴きながら無意識から浮かび上がってきた言葉をつなげるようにしていたのですが、途中からこの歌詞は、大切な人や、大事な夢を失っても、毎日の”小さな光”をかき集めながら懸命に生きていく人たちのことを歌っているのだと気づきました。そして、それは、12年前に松本さんと一緒に被災地をめぐった経験がなかったら僕の中からは絶対に出てこなかったものだと思いました。