ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

”おっさん”のための韓国エンタメ(2)〜復讐譚と”さるかに合戦”

 韓国エンタメの話の続きなんですけど、僕がどうして韓国映画やドラマにハマったかあらためて考えてみました。

 韓国映画やドラマの”鉄板”の設定として

<巨大な力に立ち向かう>というのがあって、それが好きなのかもしれないです。

「梨泰院クラス」のような、<悪い権力(財閥という設定が多い)に復讐する>というドラマは本当にたくさんありますし、「愛の不時着」のような恋愛ものにしても二人を妨げる”敵対権力”があることでドラマ性がグッと盛り上がるパターンというのも多いですよね。史実に基づいたような作品でも、政府や巨大な権力(日本軍という設定も多いのでそこに抵抗を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが)に苦しめられながら正義貫くような一般市民を描くものが多いです。

  思い返せば、日本でも僕が子供の頃ですけど、チャンネル権(死語!)を持っていた父親がセレクトした時代劇や西部劇(特にマカロニ・ウエスタン)はほぼ全部、権力を持った悪いヤツを最後にこらしめるというのが定番の図式でした。

 きっとこういう作品は一般市民の”ガス抜き”として大事な役割を果たしていたんでしょうね。

 あと僕の大好きなパターンがあるんですけど、ホセ・メンドーサに挑んだ矢吹丈あしたのジョー)にはじまって、関拳児と戦ったピストン堀口(がんばれ元気)、ラオウに挑んだ雲のジュウザ北斗の拳)、あと映画の「ロッキー」の1作目もそうですけど、<あきらかに自分より強い相手に挑んでなんとか一矢報いようとする>話には、なぜか感情移入しまくって熱くなったもんですw.

 

 「梨泰院クラス」の日本版リメイク「六本木クラス」ていうのがありましたが、観て気づいたのが(作品の出来云々は置いておくとしてw)、巨悪に立ち向かい復讐するという設定が今の日本にはほとんどリアリティがないかも、ということでした。

 日本で最も有名な”復讐譚”である「忠臣蔵」は以前は年末になると必ずTVでやっていましたよね。”すきっとした気持ち”になって新年を迎えましょう、ということだったのかもしれませんが、もう長いこと「忠臣蔵」を年末のTVで見かけません。時代劇自体めっきり減りました。今公開されている映画「身代わり忠臣蔵」は観ていませんが、”復讐譚”がメインじゃないのは予告を見てもわかります。

 ”復讐もの”自体が日本ではまったく求められなくなったのかなと思うとそうでもなくて、「半沢直樹」のように”復讐もののエッセンスがグッと凝縮され鮮やかに演出されたドラマ”には国民は釘付けになりましたよね。でも、韓国ドラマのような生々しい復讐じゃなく、いかにも時代劇っぽくデフォルメ感があったのがよかったのかもしれません。

 考えてみたら、日本人みんなが慣れ親しんだ昔話の「さるかに合戦」なんて”復讐譚”の原型、バイブルみたいなもんです。

 気になってちょっと調べてみたら、元々の話では母蟹は猿にかたい柿をぶつけられて殺されていたんです(今では大怪我したことになっています)。そこで子蟹たちが仲間たちを集めて猿に復讐する、という。父親を殺された主人公が仲間の協力を得て仕返しするという「梨泰院クラス」とか、数多くある”復讐もの”と<ストーリーの芯>は一緒なんですね。

 (韓国ドラマみたいな演出で「さるかに合戦」を実写化したら面白いんじゃないかなあ、、、やっぱ誰も見ないか、、)

 そういう幼少期の刷り込みは侮れませんから、多くの日本人にも復讐モノに乗っかる心情はなくなってはないとは思います。でも薄くはなっているのかもしれないですね。

 現実の社会を見ても<巨悪VS一般市民>という構図が見えづらいというか、やたら入り組んでますし。なんなら、そういう対立構造のある場所から”巻き込まれないように距離をとって生きる”というのも今の社会なら可能だったりします。

 だいたい、<巨悪と戦う>って途方もなくエネルギーが必要で、コスパもタイパも無茶苦茶悪い、時代に逆行するような思考性なのかもしれないなあとも思います(だからその反動でドラマにはハマるのかも、とも思いますが)。

 

 あと、ふと思ったのは、悔しさをバネにするっていうのは、確かに力は出るよなあということです、

 僕なんか”チクショー”なんて気持ちから随分長いこと遠ざかっているような気がします。たまに小梅太夫が叫んでいるのを聞くくらいでw。。もういい年なんだから、悔しさなんて感情はできるだけ味わいたくないな、と自分から遠ざかっていったようにも思います(苦笑。

 でも若い頃は、チクショー、が一番強いモチベーションだったかもですね。部活とか勉強でも社会人なりたての頃とか、その方が馬鹿力が出たという記憶があります。

 韓国ドラマで熱くなるというのは、僕にまだそういう<心性>が根強くあったということなんでしょうかね。

 でも、ジジイになってもチクショーと思いながらがんばって生きた方がかえってボケ防止にもなっていいのか、でもやっぱり人生の終わりに向けて穏やかな人格になっていった方が素敵なのか、ちょっと悩ましいところです。きっと中途半端な着地で終わるんでしょうけど(苦笑。