ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

フォレスト・ガンプ〜正直ものはやっぱりバカを見るのか

 

 <善良な正直者が最後に幸せになる>というおとぎ話っていろいろありましたよね。でも、現実はそんな甘いもんじゃない、正直者はだいたいバカを見て終わるもんなんだから、とたいていの人はきっと思っているんじゃないでしょうか。

 でも、僕は現実の人生にも”おとぎ話の法則”は間違いなく存在している、と思っているんです。おめでたいヤツです(苦笑。

 もちろん、僕もまだ人生を終えたわけじゃないのでw、最終的な結論は分かりませんが、少なくとも<行動のパターン>としては、<損得関係なく自分の気持ちに正直に無心でやったもの>の方が良かったんです。結果だけじゃなく心の満足度でも(これ大事だと思います)。

 やっぱり、邪(よこしま)な気持ちや駆け引きや計算なんかが頭によぎったものは大抵うまくいきませんでした。仮にうまくいったように見えたものでも、どこかで崩れ去りました。ただ、そうとわかっていても日々の暮らしの中で頭の中がノイズでいっぱいになって迷ったり、何よりも<自分の意思の弱さ>から”まわりに流された判断や行動”をついついしちゃいます。臆病になってやらなかったこと、乗り気じゃなかったのに人に押し切られてやってしまったこと、僕が今までの人生で後悔したことはほぼどちらかです。

 確かに、人間っていうのは社会の中で同調しながら生きていかなければやっていけない生き物ですからやむをえないことは多いです。でも、僕なんか自分の気持ちに正直な行動を長い間あきらめていると、生活にポジティヴな変化が起きなくなって気分がどろ〜んとしていきますから、そんなとき、やっぱり<おとぎ話の法則>から離れちゃったせいだろうな、なんて考えます。

 わかりやすい例で言えば、大谷翔平こそ<おとぎ話の法則>の頂点の存在でしょうけど、成功と才能のスケールが大きすぎて(苦笑、一般人には参考にしづらいですが、自分への正直さ、まわりへの誠実さだけじゃなく<流されない強い意思>が貫かれているのははっきり感じますよね。

 考えてみると<いい人>と<人がいい>は違うんでしょうね。<おとぎ話>で最後に成功するのはただ<人のいい>人間じゃないですから。

  

 「フォレスト・ガンプ 一期一会」ってありましたけど、そんな<おとぎ話の法則>ことを考えるきっかけをくれる映画だと思います。

 公開当時はただただエンタテイメント作品として楽しんだ記憶がありましたが、30年ぶりに観てみたら<人生における”おとぎ話の法則”>が巧みに物語に織り込まれていたことの気づいて、感心してしまいました。

 トム・ハンクス演じるフォレスト・ガンプは、普通の人より知能が低くその分人一倍純粋な人物として設定されています。

 自分の気持ちに100%正直で、頭に余計なノイズがないわけです。空気なんて読めないわけですから今で言う<同調圧力>なんてなんのことやら、です。でも、母親や先生、軍隊の上司に言われたことをただひたすらやるので、結果的に人一倍、団体に同調していることになる、という皮肉も面白おかしく描かれています。

 大抵の場合彼はひたすら<走る>だけです。幼い頃から足が不自由で矯正器具をつけていることからいじめられ追いかけられて、必死に走るうちに、走る才能が一気にブレイクして、そこから人生が激変していきます。

 この映画のストーリーの本質は”わらしべ長者”。物々交換しないわらしべ長者なんです。

 わらしべ長者は”ささやかなもの”がどんどん価値あるものに交換される部分にばかり気を取られますが、主人公は別に巧みな商談術に長けているわけじゃなく、遭遇する出来事に、ただただ無心に善意で対応していくことで、チャンスがどんどん大きくなっていった、という話なんですよね。

 フォレストも邪心も欲もなく、ただただ行動した(主に走った)だけです。するとフットボール・チームにスカウトされ、それによって大学進学ができ、軍隊に入れば名誉勲章をもらい、戦争で死んだ親友の代わりに彼の夢だったエビ漁をやれば大成功してしまうわけです。

 初恋の人、ジェニーに立ち去られた心の痛みから逃れようと、ただ走り続けただけなのに、やがて走る距離と時間がとんでもないレベルまで行くと、まわりの人たちが勝手に騒ぎ出し、そこに宗教的なものまで見出して、彼がだんだん教祖様みたいになっていくという展開も人間の心理の核心をついています。

 

 スティーヴ・ジョブスは”Stay Foolish”と言い、ホリエモンは成功したいなら”バカになれ”と言っていますし、現代は”信頼社会”であって”正直さ”こそがビジネスでは一番大事になるという声もたくさん聞くようになりましたが、それを考えると、この映画は”バカで正直者”の成功例を1994年の段階で、すでにわかりやすく描いてくれていたわけですね。

 ただ、この映画の味わい深いのは、フォレストの永遠の恋人”ジェニー”を時代に翻弄され流され続ける<一般大衆を象徴するような存在>として設定しているところです。彼女はフォレストの純真さの価値を誰よりも認めながらも、それによって彼が次々と栄誉をつかんで行く様子を見ると、情けない自分と比べて複雑な心境になるわけですね。

 フォレストの方は何の栄誉もいらなくて、欲しいのはジェニーだけなのに、そのジェニーとはどうしようもなくすれ違ってしまうんです。

 ”おとぎ話”を骨格にしていますが、<期せずして成功してしまった人>と<成功の法則からこぼれ落ちていった人>の人生をからめていくことで、人間らしい切なさややりきれなさがじわっと浮かび上がってきます。

 そして、ただ無心に行動してきただけのはずのフォレストが、最後に人生についてこう”悟る”んですね。こういう境地にまでたどり着けたなら十分<めでたしめでたし>じゃないかって僕は思うのですが。。

 「僕たちそれぞれに運命があるのか、それともただ風のように偶然に任せて漂っているだけなのか、僕にはわからない。だけど、たぶん、その両方だ。たぶん両方が一緒に起こっているんだ」

(I don't know if we each have a destiny. or if we're all just floating around accidental. like on a breeze. but I , I think maybe it's both. Maybe both is happening at the same time.)

 

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