ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

フィールド・オブ・ドリームス〜”推し活”だって”夢”のひとつ

 昨日このブログで取り上げた「幸せのちから」は典型的なアメリカン・ドリーム、なんの後ろ盾もない男が逆境を乗り越えて成功をつかむという話でした。

 アメリカン・ドリームを代表するスポーツといえば野球、MLBでしょうか。アメリカの野球を取り上げた映画の代表作に「フィールド・オブ・ドリームス」があります。

 でもこの映画は主人公が成功をつかみとるというアメリカン・ドリームのストーリーではないんですよね。

 ケビン・コスナー演じる主人公は突然聞こえてきた意味のわからない<天の声>に導かれるまま、まわりからは奇人変人だと思われるような行動をやっていくんですが、それをまた奥さんと娘が全面的に理解して応援するんです。

 その天の声はこう言います。

 “それを作れば彼はやってくる("If you build it... he will come.").”

 主人公はしばらくして、その声の意味は自分のトウモロコシ畑をつぶして野球場を作ることなのだと、”なぜか”悟ります。そうすれば、父の好きだった伝説の大リーガー“シューレス”・ジョー・ジャクソンがやってくると。突然そういうイメージが浮かんだわけです。

本物の"シューレス"・ジョー・ジャクソンの写真

 “シューレス”・ジョーはワールドシリーズ八百長疑惑で絶頂期に球界から追放された選手ですでに亡くなってしまっていた選手です。

 野球場が出来上がるとやはり彼は現れ、他の亡くなった名選手たちもその球場に集まってきます。 

 その後、主人公はまた新たな<天の声>を聴き、隠遁生活を送る作家テレンス・マンに会いに行きます。彼は主人公の父と同姓同名の人物が出てくる小説を書き、幼い頃は野球ファンでした(原作では「ライ麦畑でつかまえて」のJ・D・サリンジャーという設定です。実際にサリンジャーの小説には主人公の父と同じ、ジョン・キンセラという人物が出てきます)。

 そして、次に二人で、メジャー・リーグに一試合だけ出場し守備だけで打順が回らないまま終わった経験を持つ“ムーンライト”アーチボルト・グラハム(実在の人物)と出会います。

 マンとグラハムと一緒に自宅の球場に戻った主人公が、そこで最後に会うのは、天の声の<he will come>が意味する”he”だったのです。

  "he"は主人公と分かり合えないまま他界してしまった父親だったんですね。

 そしてラストシーンで主人公は父親とキャッチボールします。映画のエンディングとしては大変に地味ですが、<映画史上最も泣けるキャッチボール>であるのは間違いありません。

 この映画を象徴する言葉"If you build it... he will come.".は映画史に残る言葉としても記憶されるようになったそうですが、どういうわけか多くの人は"If you build it... they will come.".と勘違いするようになったそうです。

 それはラストシーンが、主人公がキャッチボールする野球場めがけて、たくさんの車のヘッドライトが連なっている映像だったからでしょう。

 野球場を作れば野球を愛する人たちがたくさんやってくる、という風にこの映画を解釈したのだと思います。

 そして、"If you build it... they will come."(あなたがそれを作れば、彼らはやってくる)という言葉は、新しい何かを作ればお客さんはやってくるという、スタートアップ起業家にとっての励ましの言葉としても使われるようになっているようです。 

 とにかく、不思議な出来事でいっぱいの映画なんですが、その不思議なことの理由や説明は最後までないんですよね。

監督のフィル・アルデン・ロビンソンはそれについてこんな風に説明しています。

「マジックの説明が少なければ少ないほど、また論理的な枠組みが少なければ少ないほど、より不思議なものになるということです。私たちが観客に求めているのは、私たちの事件の説明に同意することではなく、説明のないものを体験し、それがあなたをどこに連れて行くのかを見ることなんです。それがこの主人公の歩まねばならなかった道筋だったわけですから。レイはその声によって、自分がやるべきことの道しるべや説明、論理的な裏付けを与えられることはないんです。彼はただ、信念を持って、クレイジーだとわかっていることをやって、何が起こるか見てみろと言われるだけです。ですから、そのビジョンに忠実であるためには、私たちもそうしなければならないと思ったんです。それが何を意味するのか、その声が誰なのか、どこから来たのか、なぜ彼に話しかけているのかは語らないと、観客には言わなければならなかったんです」

(80S MOVIE GUIDE June 10, 2019)

 というわけで、 「フィールド・オブ・ドリームス」はただ夢をつかむというサクセス・ストーリーとはけっこう違っています。

 夢をつかめなかった人、夢を寸前でつかみ損なった人、夢が半ばで途絶えてしまった人、さまざまな人間が現れます。

 そんな夢をつかめなかった無数の人々が集ってひとときの夢を見る場所が”野球場”というわけなんです。

 夢を見る子供たちと、夢をあきらめてしまった大多数の大人たちの、”夢の肩代わりをして、体現するのが”野球選手”なのかもしれないですね。

 フィールド・オブ・ドリームスの”ドリームス(Dreams)”、夢が複数形になっていますが、その夢とは、叶った夢だけではなく、叶わなかったたくさんの夢も含まれているように僕は思いました。

 この映画の主人公は、自分以外の人の叶わなかった夢を満たすために行動起こすことで、ある意味夢を叶えたかのような気持ちになったわけですね。

 そうすると、僕の頭の中にある疑問が浮かびました。

夢は何かやりたいことのある人のためだけにあるのか?

やりたいことのない人=夢がない人ということなのか?

いや、そうじゃない、

自分にとって特別な誰かの夢を叶えることをサポートすることも

間違いなく、夢なんじゃないのか、

と僕はこの映画を見て考えたわけです。

 だったら”推し活”だって、その人にとっては"夢の実現行為"なのかもしれない,そんなことも思いました。

 

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