スピルバーグの「ジョーズ」が公開されたのは僕が小学生の時で、やたらと怖かったのを覚えています。
去年、何十年ぶりかに観直したんですが、怖がらせるテクニック、"あの手この手"のレパートリーの広さにあらためて驚きました。
サメの姿は映っていないのに、その”存在感”だけで怖がらせるんですね。
その手法は、その後のホラー映画、パニック映画のバイブルになったのは間違いないでしょう(その前にはもちろんヒッチコックがいますが)。
でも、このテクニックはスピルバーグが最初から狙ったものじゃないらしいんですよね。一番最初は生きているサメを使うことも考えたそうですが当然無理で(そりゃそうでしょう、、)、その代案として機械でサメを作ったのですが、水に濡れるとちゃんと動かなくなったそうなんです。。。
スピルバーグはこう回想しています。
「陸上ではすべて正常だったんだよ!実際、映画の最初のパートはスケジュール通りだった。サメの故障は天の恵みだった。私はアルフレッド・ヒッチコックのようになれたんだ。サメをコントロールできないことになって、サメなしで脚本を全部書き直したんだ。そのおかげで、多くの人の意見としては、脚本で実際にサメを登場させる方法よりも、映画としては効果的だったんだ。」
(ENTERTAINMENT WEEKLY. June 08, 2011)
”逆境”をまさに”逆手”に取ったわけですね。
そして、大事なのは途中からサメなしで”調整””やりくり”したのではなく、最初から脚本を全部書き直したということなんでしょうね。
”サメなしのサメ映画にするぞ!”という思い切りが、きっと数々の怖がらせる”アイディア”を生むことになったような気がします。
条件が制限された時こそ、創造力は発揮される
僕は今までたくさんの作曲家の人たちと仕事をしてきましたが、
「自由に、好きなように作ってください」っていうオーダーが一番やりづらいとみんな口を揃えて言ってました。
スポーツの世界を見ても、追い込まれた時の方が力を発揮できる選手が圧倒的に多い気もします。
すごい日常的な例だと、お金がなくなって冷蔵庫のありあわせのものをじっと見つめながら考えて作った料理が意外にうまかった、なんてことも十分に”逆境の逆利用”だと思います。
僕自身は、逆境に会うと自分でも情けなくなるほどメソメソウジウジする人間なんで、なるべくなら避けたいなあ、と願いながら生きているわけですが、<逆境の逆利用>は人生でとっても大事なものの一つだいうことは認めないわけにはいかないですね。