今さらなんですが、昨年末のM1は面白かったです。
審査員が全員、現役バリバリの漫才師だったりしたので、このままだと漫才通の人たちだけが楽しめる閉鎖的なものになっていくんじゃないかという警鐘を鳴らした方もいたそうですが、僕はワールドカップやオリンピックや格闘技の頂上決戦みたいな緊張感のある”競技性”が味わえて面白かったです。
エンタメですから、茶の間でだら〜んとリラックスして楽しむのが本来の姿なんでしょうけど、お笑いに”スポーツイベント感”が加わるなんていう”異常な場”はM1だけで、その特殊性がすごく面白いんですよね。
そんな”究極の緊張状態”の中で優れた技能を持つ人々が競い合うと、不思議な”マジック”が生まれたりします。それが大きなスポーツ・イベントの醍醐味です。WBC決勝のクライマックスが大谷VSトラウトになるとか、神様が筋書きを書いたとしか思えない状況が生まれちゃうんですよね。
今回のM1では昨年の覇者令和ロマンが2年続けてトップバッターになった、ということで一気に大会のボルテージが上がりました。実際、その時の会場の様子を、令和ロマンの松井ケムリさんは、お笑いじゃなくスポーツの盛り上がり方だったと語っています。
そのくじを引いたのが阿部一二三さん。柔道家、五輪で連覇したアスリートなんですよ。くじを引く前に、令和ロマンも僕みたいに連覇してほしい、なんてコメントしてました。すでにマジックが生まれる”必然性”があったんでしょうね。あそこで、ただのお笑い好きのタレントや文化人がくじを引いてもそうはならなかった、と僕は思います。そういう”引き”を持っている人じゃなきゃいけない。
ただ単に、オリンピックがあった年だからアスリートを呼んだんじゃなく、M1は”アスリート系漫才大会”だから、何かマジックを期待して、その着火剤として五輪アスリートを呼んでいたとしたら頭が下がりますが、、。
考えてみれば、漫才の専門性が強くなったM1が”内向き”にストイックになりすぎて面白くなくなる可能性も確かにあったと思います。しかし、結果として面白くなった。その立役者はもちろん令和ロマンです。
慶應出身のインテリによる”今どきの”分析型漫才として知られていて、今回は、それと真逆の”懐かしさを感じる”おバカ・キャラ”のバッテリーズとのコントラストの妙が大会を面白くしました。
でも、これもただのインテリVSバカ、じゃないんですよね。
バッテリーズの”おバカキャラ”も、例えば錦鯉とはかなり違うと思うんです。人からバカだと言われていても善良でピュアな心を持つ人間の視点が、普通の人間が何も考えずに決めつけている”常識”をひっくり返すように感じる、という古い昔話に出てきそうなパターンでくるんですよね。落語の”与太郎”とか寅さんみたいに。
例えば、サグラダ・ファミリアはただの建築現場じゃないか、とか。それを聞くと、最初はバカだなあと思いつつも、いや、何だかよくわからないまま観光に行く人間の方がバカかもしれない、なんて思わせてくれます。ボケのエースさんは普段からそういう発言をする人らしく、相方の寺家さんは彼の持ち味を最大限出せるように細かく工夫しながらネタを作っているそうです。
実際に草野球でバッテリーを組んでいるという彼らは、ピッチャーでボケのエースさんの持ち味を最大限に活かすためにキャッチャーでツッコミの寺家さんが”ネタの配球”を考えるという、言ってみれば、アスリート・スタイルの漫才なんです。
もちろん、令和ロマンのほうも、ただ頭がいい、分析力がすごい、それだけじゃないですね。それだけで、優勝、しかも連覇なんてできるわけがないですから。
去年、彼らの動画を時々見ていたのですが、高比良くるまさんは、ただ分析するんじゃなく、客観思考がすごいんです。俯瞰した全体の中で自分たちがどういう役割をすればその場が一番盛り上がるか、という視点で常に動いていて、自分たち自身もその一つの”駒”として見てるんですよね。
M1で自分たちの出番がくじで一番になった時も真っ先に「この大会はどうなってしまうんだろう」と思ったそうで、すさまじい客観、俯瞰力です。
今までの発言の中でも、自分たちみたいな漫才が優勝するM1は自分が好きだったM1じゃない、とか、仮にM1の人気が落ち始めた中で自分たちが連覇することは悪影響しかないので出る意味はないけど、今はM1人気がすごくあるので自分たちが”悪役”の役回りをすればストーリー性が出てすごく盛り上がるので出る意味がある、とか。かなり前の段階でそんなこと言ってるんですね。
M1の出場者は普通は自分たちのキャリアのことだけでいっぱいいっぱいだと思うので、この思考は異様にも思えます。でも、僕は彼が私利私欲やエゴを捨てているわけでも、冷めた目で見ているわけでもないと思うんですよね。その場がベストな状態になることが、自分たちにとってもベストなのだとわかっているんだと思います。言い換えれば、盛り下がったコンテンツで主役になるより、盛り上がったコンテンツで重要な役割を果たす方が結果自分たちにとっても結果的においしい、という”利己”的な視点もちゃんとあるはずです。
M1の出場者は、全員全身全霊をかけてパフォーマンスしたように思いますが、僕が見た限り、パフォーマンスへの熱量も令和ロマンが一番高かった気がします。ものすごい熱量と集中力で、細かく考えられた”分析型漫才”をやっていた。
いわば、すごい熱中状態と客観思考、俯瞰力が共存する、という、矛盾したものが調和しているという、僕が今まで見たことのないものだったんですよね。だって、客観的=冷静、醒めているってずっと思ってきましたから。
これがエゴというか、自分たちのことで頭がいっぱいになっていた人なら、トップバッターのプレッシャーに飲み込まれていたんじゃないかと思います。しかし、興奮しながらも客観思考もちゃんと発動していた。
集中、熱中しすぎると、かえって自分の中の<自分>なんてちっちゃくなっていくのかな、なんて想像もしますが。
ともかく、熱中した状態と客観的視点が共存する状態、というのは、ビビることのない状態ですから、最強じゃないか、最高のパフォーマンスを生み出す確率が一番高いんじゃないか、なんてM1を見ながら僕は思ったわけです。
というわけで、昨年のM1はとても茶の間でふんずりかえって見てられなかったんです。令和ロマンからは、ついつい”考察”してしまうという影響まで受けたみたいです。