星野源さんの新曲「Eureka」を聴いて、ゆるんで乱れていた自分の気持ちが、少しピリッとするような思いがしました。
これは、具体的に音楽としてどうこうというのではなく、作品全体から滲み出てくる、覚悟のようなもの、腹をくくった人間の”強いまなざし”を曲から感じたんです。
僕の気持ちがどうしてゆるんで乱れていたかというと、いま自分が関わっているアーティストのプロモーションで、毎日いつもより長い時間、SNSに接しているうちに、ついつい今話題になっているテーマ(僕の業界とつながっていますし)のタイムラインを追ってしまって、気づいたらその渦に飲み込まれてしまっていたんですよね。
同じハッシュタグのタイムラインでも人によって見え方がこれほど違うんだなと思います。イージーなものもあれば、真剣なものもあります。コメントの内容に納得できうるできない以前に、すごく生理的に嫌な気分にさせられるものも多くあります。その人の不安やストレスや苛立ちみたいなものが滲んできるようにも思いますし。
マスコミはSNSでの意見を賛成派と反対派みたいな”大きな塊”としてとらえてしまいますが、実態はそんなシンプルなじゃなく、もっといろんなものが入り混じって絡まり合った”濁流”のように思えます。流れはますます早くなり、どこに向かっているのかも読めません。
僕のいる音楽の世界でも、アーティストの活動においてSNSが生命線になっています。カナダのR&Bのシンガー、ダニエル・シーザーが何年か前のインタビューで「今のアーティストはTikTokをやるしかない、そうしなければ死ぬしかないんだ」という内容のことをインタビューで語っていたことをよく覚えています。
星野源さんは昨年末の紅白歌合戦で曲目を直前で変更するということがありました。 性加害疑惑を報道された監督の映画の主題歌でかつ同名のタイトルであることがSNSで問題視されて、星野さん側も変更を決意したんですよね。
ただ、その曲(地獄でなぜ悪い)は彼がくも膜下出血で入院していた病院でその時の思いを強く反映させた作品で、曲そのものは映画とは関係ないものだったそうなので、まさに苦渋の判断だったと思います。
「ただ地獄を進むものが、悲しい記憶に勝つ」という一節がこの曲にはあって、なまじっかな励ましやポジティヴ思考なんてものじゃまるで歯がたたないような不遇、逆境が世の中を覆い始めている今の時代に、<地獄を生きる覚悟>をなんとも軽やかに歌うこの曲は今のタイミングでこそ多くの人に届ける意義はすごくあると僕は思いました。少なくとも僕は、どんよりした見えない不安にずっと心病んでしまいそうになっていましたが、これからの時代はある種の地獄が必ず来ることを前提にして、それでも軽快に腹をくくるほうがずっとマシじゃないかとこの曲を聴いて思いました(年を明けてからの世の中を見るとその想いはいっそう強くなっています)。しかし、それと同時に状況を考えたら、紅白で歌うのはやめるべきだろうとも思いました。
それは、ご本人にしたら相当な葛藤だったと思います。
<創作>というものの根っこが、心の奥深くまでその根を張っていればいるほど、その苦しみは大きいのだろうと想像します。今の時代の創作者は、こういう問題にも対峙しなくてはいけないんだな、と思いました。
「Eurika」は紅白の件がある前にすでに完成していたのだと思いますが、それ以前の作品に比べて、”静かな凄み”が感じられて、それは、この地獄の時代を一人の創作者として生きてゆく覚悟のようなものなんじゃないかと僕は思ったわけです。