ボズの日記(Diary of VOZ)

VOZ(声)。ついついアタマの声に騙されてココロの声を聞き逃してしまいがちな毎日ですが、ダレカの声にも耳を傾けながら書いていきたいと思います

ノスタルジックなスローガン

 トランプが「Make America Great Again」というスローガンを掲げていますが、現在アメリカに対抗する大国、中国の習近平も「中国の夢」というスローガンで「中華民族の偉大な復興」を大きなテーマに掲げているんですよね。ロシアもスローガンこそないですが、かつての強国だった時代に戻ろうとしていることは、もうはっきりしていますよね。

 すごく強い力を持つ三国が、”未来の地図”を広げて見せるのではなく、良かった時代に戻ろうということを掲げているのが、今の時代を表しているようで、僕にはすごく怖く思えます。

 これを人間に置きかえると、あの良かった時代に戻りたいというのは、人の心にもすごくアピールしますよね。郷愁というのは、ある年齢以上のマインドにはけっこうな効果があります。それに、成功体験があるのだから、もう一度やれるはずだ、というのもすごく説得力があります。

 ただ、いい時代の記憶、とか、成功体験というのは、人としての誇りを守る材料としてはいいでしょうが、それを未来に当てはめるのは間違いで、いいことは何もないと思います。

 特に、昔とあらゆるもの価値観が変わってしまった今の時代、ビジネスシーンなどでは、過去の成功体験は執着せずに捨てされ、というのが常識になっています。かえって、積極的に新陳代謝をして若い人に託していった方がいいはずです。

 だいたい各国の指導者たちだって、良かった時代に戻れるなんてこれっぽちも思ってないでしょうし、戻る気も本当はないですよね。ただ、自国をもっと強大にしたい、という強迫観念だけのように思います。良かった時代にあったもので今取り戻そうとしているのは経済と領土だけでしょう。

 ”自国の利益至上主義”を正当化するのに、”あの素晴らしい時代をもう一度”というスローガンをかかげていて、いわば利己主義のためにノスタルジーが使われている、そして、それに国民もうまいこと取り込まれちゃっている、そういう感じが僕には怖かったのかもしれないです。

アメリカ大統領選とスローガンと1980年代

 アメリカ大統領選でずっと僕が気になっていたのはトランプのスローガン

”Make America Great Again"(アメリカを再び偉大な国にしよう)”でした。

 古き良き時代をもう一度、が最大のテーマで、新しい未来は提示していない、というかもはや未来を描けない、それほどアメリカは追い込まれているんだな、と思ったわけです。

 それに対してハリスは”Freedom(自由)”、アメリカという国をまさに象徴するような理念ですけど、あまりにざっくりしていやしないかな、とも思いました。

 テイラー・スウィフトビヨンセレディ・ガガ、ビリー・アイリッシュといったトップ中のトップの女性アーティストや、僕が敬愛するブルース・スプリングスティーンや、レオナルド・ディカプリオハリソン・フォードジョージ・クルーニーといったハリウッドのスターたちもハリス氏を支持していました。

 一昔前なら、これほどのアーティストたちがこぞって支持したら、風向きは大きく変わりそうですが、今回の選挙結果を見るとそれほどの影響がなかったんじゃないかとさえ思えます。それほど、アメリカ国民は切羽詰まっているんだなと思いました。セレブは金持ってるからいいけど、俺たちは違うんだよ、って反発した人もいたんじゃないでしょうか

 ちなみに”Make America Great Again"というのは1980年の大統領選挙でロナルド・レーガンが使ったスローガンだったんですよね。そして、結果として、共和党レーガン民主党の現職、ジミー・カーターに勝ったわけです。

 2016年にトランプ氏が大統領選の出馬した時に、このスローガンを使うわけです。しかも初出馬の4年前の2012年にすでに”Make America Great Again"を彼は商標登録しているんです。自分が発案者じゃないのに(笑。このスローガンでいける、といういう勝算が既にあったのでしょう。彼がビジネスマンとしては一流というのがよくわかりす。今回の選挙でもそれを使い倒して結果を出しているわけですから。

 ちなみに、2016年に彼が出馬した際に最後にアメリカが偉大だったのはいつだったと思う?という質問に彼はこう語っています。

ロナルド・レーガン政権時代だ、その頃、あなたたちはアメリカ人であることに誇りを感じていたはずだ。本当に誇りに思っていた。それ以来、人々が誇りを持つようになったとは思わない」

 レーガン政権は1981年から1989年でしたから、

”Make America Great Again"というのは”Back to '80s”と言い換えられるんじゃないか?と僕は思ってしまうわけです。

 僕は音楽業界にいる人間なんで、日本もアメリカも今は80'sのサウンドがすごく人気だしなあ、などと考えが飛躍してしまいますけど(苦笑。生きづらくシビアな今の時代から見て1980年代の文化が魅力的に見えているというのはカルチャー的にはあるわけですが、アメリカの政治、経済的にもそういう面があったんですね。

 その時代にアメリカで暮らしたわけじゃないのでわかりませんが、レーガンの経済政策は”レーガノミクス”と呼ばれるほど評価されていたわけです。日本でも”アベノミクス”なんて派生語も作られたくらいですし。

 でも、良かった時代(1980年代)に戻ろうというのは、やっぱり現実逃避の幻影でしかないでしょう。カルチャーやエンタメ的にはいいんですが、実社会ではどうなんだ?と思ってしまいます。

 リーダーたる人は、懐古じゃなく未来志向で、たとえ先が見えなくても、苦汁をなめさせらながらでも、なんとか新しい時代へのポジティヴなビジョンを探り出して、掲げるべきじゃないか、なんて僕は思うのですが、それじゃあ今の世の中では支持されない、と生まれついてのビジネスマンのトランプは冷静に分析したんでしょうか。

 ハリス陣営はかつてのオバマのようにもっと未来志向のビジョンを打ち出せば、トランプとの対比がよりはっきりしたはずですが、今の世の中で理想を掲げるだけでは絶対勝てない、ということだったのかもしれません。そして、結果的にトランプに対抗できるような”わかりやすいスローガン”を打ち出せなかったんですよね。

 スローガンなんて、ただの”うわべ”の言葉じゃないか、という人もいるかと思いますが、名は体を表すというように、物事の本質をついてきます。言葉は本当に怖いものだと僕は思っています。

 今回の選挙は、ジェンダーや人種といった人間のすごく本質的な問題が今までの選挙以上に込められていた大変意味の重いものだった思うのですが、<目の前の暮らし>が<人としての尊厳>より最優先された、僕にはそんな感じがしました。

 この選挙結果を受けて仮に一時的な経済的な好況はあったとしても、大きな流れとしては一般大衆にとってより苦しい方向に進んでいきそうな感覚は僕にはあります。至近距離の経済状況を最優先するあまりに、その代償としてとても大事なものを放棄してしまったように思えますし。

 そんなことを考えると、世の中的には不況や良くない方向に行く、ということを大前提にして生きていかないと、思います。でも一人の生活者として、悲観に飲み込まれずに、ポジティヴな”種”を日々探してゆくことが何より大事だと思います。”どんな逆境でも明るく生きる”ことがしばらく僕のスローガンになりそうです。

 

 

 

『Prime Video Boxing 10』堤×井上戦

 この連休の夜は『Prime Video Boxing 10』を観ました。さすがに全試合はずっとは観れなかったですけど、両日のメインイベントはしっかりと堪能できました。

 prime videoでは”直前スペシャル”という、参加選手を取材した短いドキュメンタリーも放映していてそれも観ました。その中で気になったのが堤聖也選手と岩田翔吉選手だったんですけど、どちらも見事勝利しました。特に堤選手は印象的でした。

 彼はかつてインターハイで、当時雲の上の存在だった井上拓真選手に対して弱気になって負けた悔しさをずっとバネにしてやってきて、12年ぶりに再戦のチャンスがやってきた、”打倒井上拓真”がライフワークだった選手です。自分の弱さを大前提にして、そこから積み上げてきたような印象を受けました。それから、僕はネットで観たんですけど、昨年末に穴口一輝選手と本当に凄まじい試合をやっていて、そのダメージで穴口選手は亡くなってしまうんですけど、そういう経験をしながらボクシングを続けるというのは、心の覚悟のようなものが、他の選手と比べてもかなり切実なものなんじゃないかと思ったんですね。それで、井上拓真選手はかなり苦戦するんじゃないかと僕は予想していました。

 このドキュメンタリーで堤選手は、技術では自分よりかなり上回る井上選手に対しての、自分の勝ち筋は”すごい小さな針に糸を通す感覚”であり、そのすごい難しい勝ち筋を12ランドを通して続けてゆくと、絶対にチャンスはきて、そのチャンスを絶対に逃さない、と語っています。

 これはやはり自分が弱者であることを大前提にした戦略であり、そういう戦略を持つ人間は間違いなくタフですよね。

 (ボクシングに限らず、社会でもビジネスでも弱者に最も必要なのは、自分が弱者であることを認識した上で、気持ちを込めて、コツコツ、しつこく、続けることなんだと思います(それが僕に全然足りていなかったことなんですけど))

 実際に井上選手は、最初の2ラウンドは完全にテクニックで堤選手を翻弄していましたが、尋常じゃない堤選手の”気迫”を感じたのか、それ以降のラウンドはそれを受け止めるというか、受けて立つというか、そういう姿勢になった場面が何度かあったように思います。

 そして、堤選手は井上選手への対策を入念にしたでしょうし、彼にはパンチがありますから、想定以上にじわじわとダメージが蓄積されたんじゃないでしょうか。

 最初の2ラウンドのような戦い方で、防御主体で的確にパンチを当てる試合運びをすれば、井上選手は判定で勝つことはできたように僕は思いました。

 しかし、ノックアウトを積み上げてゆく兄”井上尚弥”の存在がやはり大きいでしょうし、同学年の選手が自分に命懸けで向かってくることに対して、テクニックだけで勝利を掴むような戦い方はできないと思ったんじゃないか、そういう気がしました。もちろん、これは僕の勝手な推測ですけど。

 でも、そういう極限での選手同士の”気持ちのやり取り”が感じられることが、ボクシングの面白さ、子供の頃「あしたのジョー」〜「がんばれ元気」に夢中になったのも、そういうところが大きいんですよね。少なくともただ”殴り合い”を見てうさを晴らしたいだけなら、こんなにボクシングに惹かれないですから。

 

 

 

 

 

『Prime Video Boxing 10』

『Prime Video Boxing 10』

「生きのびるための事務」(坂口恭平原作 道草晴子漫画)を読みました

 この何年かの間、売れている本のテーマに「好きなことをやって生きていく」というのがありますよね。

 コロナが大きかったんでしょうか。ステイホーム中にやっぱりいろんなことを考えましたよね。会社や組織には頼れないんだということを思い知らされた人もいたでしょうし。自分の人生これでよかったのか、と振り返ってみた方もいたでしょう。

 でも、最近は景気も悪くなってきましたから、好きなことをやって生きていけるわけないだろって思ってる人の方がやっぱり多いかなとも思います。

 

 僕は大手のレコード会社を二十数年前に辞めて、自分ひとりでインディーズをやりたくて始めたわけですが、成功本を書けるような実績をあげたこともなく、何とか潰さずに粘ってきただけなんですけど、この「生きのびるための事務」は、二十数年前に読みたかったなあ、と思ってしまいました。

 何かをやるためには、やらなきゃいけないことがくっついてくる、と言ったのは甲本ヒロトさんだったと思いますが、好きなことで生きていくには、やらなきゃいけないめんどくさいこともくっついてきて、そこを”おろそか”にするとうまくいかないです。僕の場合は”おろそか”になっていました。

 「生きのびるための事務」は、好きなことをやって生きるには”事務”が大事で、その中でも大事なのは”お金”と”時間”の管理だと言い切っています。

 大前提として、将来の夢、と言ったふわふわした状態にしておくのではなく、”将来の現実”として、将来(10年後)の1日の具体的な時間割をノートに書き出すことから始めています。

 また、この本はポイントポイントで箴言(しんげん)があって、たとえばこう言うものがあります。

 

 <上手くいく>とはただ<やり方が合っていただけ>

上手くいかなかった場合は

 否定すべきは<己>ではなく、己が選んだ<方法>のみである

 

 何かをすることに世間で言う<才能>は必要ありません。

 私たちが考える<才能>は、ただ毎日続ける<やり方>でねつ造できます

 

 好きなことをやって生きていくためには、夢とか才能とか、具体的じゃない”ぽわん”としたものをそのままの状態にするのではなく、現実的な方法に落とし込んでいって、自分なりに毎日”辛くなく”継続するシステムを毎日の中に組み込んでいく、ということなんだろうと僕は思いました。

 

 

 

「自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学」(しんめいP著)を読みました

 ここ数年、スピリチュアルとか自己啓発とか成功法則なんかを上手い具合に要約して発信している人がすごく多くて、僕なんかもけっこう興味があったりするので、SNSとか動画サイトで見たりするとその後似たようなものがドバドバとレコメンされてきて、さすがになんだかなあ、とちょっとうんざりしていたんですよね。。。

 でも、この本はそういったものとは全然違いました。なんか感動してしまったんです。ただ要領良く巧みに書かれているだけでは感動なんかしないですから。

 これは筆者が実際に心底悩みまくったからこそ、つかむことができた”ツボ”がちゃんと軸になって展開されているからすごく説得力があるんですね。

  中田敦彦さんとかDaiGoさんとか、大量の情報を的確にまとめてすごくわかりやすく解説できる頭脳明晰な人がいますよね。僕もすげえなあと思ってそういう動画を見ていた時期もあるんですけど、なんかもっと発信者のダメな部分も含めて生身の声が混じったものを聞きたいなあ、と思い始めていました。だから、この本はまさにドンピシャでした。

 著者のしんめいPさんは仏教の開祖ブッダを皮切りに、偉大な僧のキャラクターとその教え、思想を、僕たちのいまの社会に置き換え例えながら、自分の体験を交えながら、その違いを楽しく説明しています。 

各章の見出しはこんな感じです。 

1章 「無我」 自分なんてない(ブッダ

2章 「空」 この世はフィクション(龍樹)

3章 「道」 ありのままが最強(老子荘子

4章 「禅」 言葉はいらねえ (達磨大師

5章 「他力」 ダメなやつほど救われる(親鸞

6章 「密教」 欲があってもよし(空海

 で、僕はこの本は、タイトルにあるように「教養として」読むのはもったいない、いや、「教養として」なんて読んじゃいけないと思ったんです。

 今の世の中は悩んでいる人でいっぱいだと思います。

 その悩みが、借金がある、病気だ、とか具体的なもので、それに対して現実的レベルで悩んでいる人も多いとは思いますが、それがなんかだんだんと本質的な方向、そもそも自分って何だ?何のために生きてるんだ?などという方に行ってしまう人種も少なからず、特定数いるんですよね。僕もかなりこっちの方です。

 そういう人にとっては、この本の中で一番自分がしっくり来た考え方を選んで、一歩踏み込んで関連した本を読んだり、その宗派のお寺に行ったりして、いろいろ学んでみるというのがいいんじゃないでしょうか。

 僕の場合は、最終的に憧れるのは筆者が”人間というより、ほぼ草”と称した老子ですけど(笑、今の自分にとってヒントになりそうなのは親鸞かなあ、空海かなあとその日のテンション(?)で行ったり来たりしてる感じですかね。

 こういうものは教養として知っていてもしようがないというか(居酒屋で披露するうんちくには不向きですし、他にひけらかす場もないでしょう)、具体的に自分の生きづらさが少しでも楽になるためのガイドブックとして役立てるのがきっといいです。

 

 

 

 

 

映画「レベル・リッジ」〜過剰さをグッと抑えたことでかえって味わいが生まれた映画

 全然前情報もない映画をただなんとなく観てみたくなって、Netflixで映画部門1位になっている「レベル・リッジ」を観てみました。

 前情報なしとは言っても、Netflixのキャプションで

「元海兵隊のテリーから有り金を押収した小さな町の警官。絶好のカモだと思った相手が正義のためなら手段を選ばない男だと、彼らはまだ知る由もなかった」

 と書いてあったので、これはもう観なくてもわかりました(苦笑)。無茶苦茶強い主人公が最後に怒りを爆発させて悪徳警官をバンバン倒してゆく話だろうな、主人公はすごいガタイがいいし、とは思いつつ、僕はジョン・ウィックとかイコライザーとかアクション映画でたまにストレス発散するタイプなのでいいかも、と思いました。

 ところが、この映画、予想とは全然違っていたんですよね。

 主人公テリーは海兵隊でMCMAP(海兵隊マーシャルアーツプログラム)の教官で、近距離格闘のスペシャリストなんですが、自分がどれだけひどい目にあっても、何よりも法的解決をまず優先させるいたって”真っ当な”人間なんです。

 ただ、彼がとった真っ当な行動をことごとく警察に潰されて、最後に彼は戦うことになるのですが、悪徳警官は一人も死なないんです。相手がどんな悪党でも彼はとにかく”殺さない”ことを最優先にしているかのように戦います。

 ”正義のためなら手段を選ばない男”なんかじゃないんですね。

 もちろん一対一の格闘は強いのですが、銃を持った大勢の警官を自分の格闘能力だけで制圧できるとは思ってないんです。相手から銃を向けられれば抵抗せずに降伏しますし。無闇に強いのではなくて、自分の能力を現実の状況に照らし合わせる判断が冷静なんです。それは、海兵隊の教官だからなんでしょうけど。

 最後も主人公の格闘能力よりも、警察の中にいるまだ良心のある警官が助けてくれくれるということに重きを置かれています。

 映画の空気感は、不当な目にあった主人公の復讐劇みたいなアクション映画の定番と共通するスリリングな感じがするのに、実際の起こるアクションはいたって地味、言い換えればすごく実践的でリアルなんです。

 そうすると、格闘シーンにカタルシスを感じるようなアクション映画ファンには欲求不満が残りそうですが、僕はそんなことなかったですよね。 

 最近のアクション映画は過剰な方向に行くとこまで行ってしまった感じがして、その”揺り戻し”がこの「レベル・リッジ」なのかなと思いました。

 僕なんか、アクション映画だけじゃなくて、何倍返しの復讐をするドラマ、韓流にとても多いですが(笑)、それもストレス発散と思ってたまに観ていたんですけど、さすがに胸焼けがしてきてもう観なくていいなあ、なんて気持ちにちょうどなっていたところでした。

 そして、エンタメの世界の中で巨悪をやっつけてスッキリすることで、現実社会の巨悪をなんとか受け入れちゃう、そんなことでいいんだろうか?なんてことまで考えてしまいました(苦笑。

 アクション映画の一番の売りの「カタルシス」や「スッキリ感」がかなり控えめな映画なのは確かです。ただ、主人公の、不当な目にあっても、ただ良心を軸にして、真っ当なアクションを起こそてゆく姿に、なんか心ひかれるところがあったんですよね。架空の世界として完結するものじゃなく、現実生活への教訓になるような感覚というか。それは、普通のアクション映画を観た時の後味とはずいぶん違いました。

 

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絶好調には気をつけろ!

 TVでスポーツや格闘技を見るのが好きなんですけど、その大きな理由の一つは”人生の法則”みたいなものがはっきり現れることがよくあるからなんですね。

 

 オリンピックみたいな大きな大会になればなるほど、アスリートは肉体的に究極まで追い込んで、精神的にはギリギリまで集中した状態で、一定のルールの中で競い合うという、ものすごく”純度”の高い状況が出来上がるわけです。

 その結果として、人間の<メンタル>の影響がクッキリと現れ、誰かがシナリオを書いたんじゃないかみたいな結末が生まれる確率が高くなるのかな、と僕は考えます。

 

 普通の人の場合は、人生の流れはもっとダラダラとしていますし、ルールなんかなくて、あやふやなことばかりの環境であくせくと生きています。それだときっと”人生の法則”なんてなかなか見えてこないですよね。

 ああ、あの出来事が後であんな感じで繋がって、こういう結果になったのか、なんてずっと後になって気づくってパターンがほとんどかもしれません。

 

 例えば、努力はいつか報われる、という人もいれば、努力しても報われない、という人もいますよね。オリンピックを見ても、辛い思いが報われたと喜ぶ選手もいれば、こんなに頑張ったのに無駄だったと嘆く選手もいます。

 どちらもまぎれもない事実だったわけですよね。

 ただ、どちらか一方が”真実”というわけではない。

 その間には無数のグラデーションみたいに、いろんなパターンがあるんだと僕は思います。報われやすい努力のパターンとか。報われにくくなる状況だとか。その人のマーソナリティ、環境、それまでの過程、などいろんな要素が絡み合って、努力が結果につながるかどうか決まってくるんでしょうね。また、その場の結果としては報われなかったとしても、長いタームで見たらその経験がプラスに働いたなんてこともあるでしょう。

 

 今回のオリンピックを見ると、優勝候補の選手が初戦で敗れることが多かったですよね。試合後のインタビューをチェックすると、みんな調子はすごくよかったと言ってるんです。

 総合格闘技の話になりますが、少し前の試合で平本蓮選手に予想外の展開であっけなく負けてしまった朝倉未来選手も”過去最高の仕上がり”と言っていたのを覚えています。

 

 僕がよく覚えているのは、今度はボクシングの話ですが、生涯のライバルであるファン・マヌエル・マルケスに無惨に失神KO負けした時のマニー・パッキャオ。彼のトレーナーの話では過去最高に調子良かったそうだったんです。

 

 僕が思うに絶好調って怖いんです。

 波で言えば、いちばん高く盛り上がった瞬間のわけで、そこからは一気に下降し砕けるだけなんですね。

 何か、自分でも気づかないレベルの”隙(すき)”ができるのかもしれません。特に、格闘技のような相手と対面する競技の場合は、その隙をつかれる、という展開になることが多いのかもしれませんね。

 絶好調の時こそ、慎重にことを運ばなければいけない、今回のオリンピックを見ながらあらためて自分に言い聞かせました。

 

 逆に、今回のオリンピックで金メダルをとった人は、その前に挫折や困難があった人が多いですよね。大きな怪我を克服したり、絶不調の数年間を過ごしていたり、前のオリンピックで悔しい思いをしていたり。

 逆境はメンタルを鍛えてくれるのか、それとも心の”隙”を消してくれるのか、わかりませんが、何らかの効能がはっきりとあるのでしょう。